兼六園の橋①三橋
【金沢・兼六園】兼六園の橋は、園内及び園外金沢神社辺りに有名無名を含めると30橋近くあります。今更ですが兼六園は、高台にありながら辰巳用水を巧みに引き込み、曲水(きょくすい)や鑓水(やりみず)の楚々とした流れが池や滝に注がれ、ところどころには意匠を凝らした橋が架かり、周辺の風景ともよく馴染み四季を通して訪れる人々を楽しませてくれます。...
View Article兼六園の橋②伝説の石橋
【金沢・兼六園】兼六園には、藩政期に造られた伝説の石橋があります。造られた時代はそれぞれに違いますが、使用されている石は、金沢城の石垣と同じ戸室石です。いずれも橋にまつわる言い伝えや由来、伝説が多くて、観光ボランテティアガイドとしては、伝えたい話があり過ぎて悩まされます。...
View Articleハイグレード、ハイクオリティ、ブランドイメージの金沢(こだわり)
【金沢市】山出氏の金沢らしさの三つ目は、「金沢はあらゆる面で、ハイグレード、ハイクオリティ、ブランドイメージ」を追い求める町だと言い、この背景として、金沢が武家社会であったこと、武家社会は格式を重んじ“いい加減”なことをゆるさない町であり、また、藩政期「天下の書府」といわれ今も学都で、美術工芸王国であることも、“いい加減”なことが出来ないことにつながっているのではおっしゃっています。...
View Article兼六園の橋④その他の橋
【金沢・兼六園】虹橋の小滝の下(しも)から流れる鑓水(やりみず)は、やや下りながら噴水をめざし落ちていきます。水路は無名の2つの小さい橋から虎石前の歩道の下を流れ、さらに常磐ヶ岡の2つの無名の橋の下をくぐり噴水の池に注ぎます。 (噴水) (虹橋から噴水まで) (無名橋a) (無名橋b) (虎石前の無名橋c)...
View Article方言が見えた・・・金沢アートグミ
【金沢市】遅れてすみません。会期が終わってからの報告です。1月30日まで武蔵ヶ辻の金沢アートグミで開催されていた「金沢しきたり展・金沢ことば」です。金沢大学の先生で言語学者の加藤和夫先生が監修され、私も多少関わらせて戴きました。 (展覧会会場) (ビデオ)...
View Article金沢人気質(かたぎ)①
7、8年前、お客様から、金沢人気質(かたぎ)というか金沢人らしさ?について聞かれ、まったく考えていなかったので、不意をつかれシドロモドロ、何を言ったのか覚えていませんが、まともにお応え出来なかったことは確かです。...
View Article金沢人気質(かたぎ)②
【金沢】金沢人に対して耳障りのいいことだけ並べると、基本的に真面目。そして、穏やかで、引っ込み思案で欲がなく、加賀百万石時代のなごりか“あくせく”しなくて表面的には温和。プライベートでの文化芸術的活動の時間を大事にします。そして同郷意識や学問意識が旺盛で、市民同士は互いに助けあう美点がある・・・。となります。...
View Article金沢人気質(かたぎ)③
【金沢】金沢の昔話を採集中に読んだ話ですが、他所からきた商人の話として「金沢人は、回りくどくて、何を言っているのかよく分からん」と言うのがありました。”お茶を飲みながら、天気の話から始まり、世間話をひとしきりしてからでないと、商談に入れないというのが原則“だったといいます。(商人は、慎重で、石橋を叩いて、ゆっくり進める。渡らないこともあるとか・・・。)...
View Article夕顔亭①
【金沢・兼六園】夕顔亭は、瓢池の東岸にある翠滝と相対して建つ数寄をこらした茶席です。11代藩主治脩公の「大梁公日記」に新しい御亭のことを瓢池に浮ぶ島の中に建てられていることから「蓮池中嶋の亭」「中嶋の亭」と書かれているそうですが、当時の絵図を見ると蓮池の中の二つの島の一つに描かれている滝見御亭が今の夕顔亭だといいます。 (夕顔亭の全景) (夕顔亭からの眺め、秋の瓢池と翠滝)...
View Article夕顔亭③竹根石手水鉢
【金沢・兼六園】貴人口側に「竹根石手水鉢」があります。小間の茶室の露地に用いられる蹲(つくばい)の形態をしていますが、役石の配石がなく、茶室の約束事とは異なることから竹根の化石として、景趣のため据えられたようです。しかも出自は幕末に活躍した粟ヶ崎の豪商銭屋五兵衛が南方から持ってきて前田家に献上したものだと伝えられていました。...
View Article古地図の中の金沢駅前
【金沢駅前木の新保辺り】北陸新幹線の金沢開業まで10日を切りました。ここのところ金沢は全国的に注目されマス媒体への露出が、余りにも多いので、知らなくて録り忘れたテレビ番組も随分あります。私はといえば新幹線に乗る予定もないので、記念に富山まで行ってこようかと思うくらい、いい歳をしてテンションが上がっています。...
View Article兼六園の雪見灯籠
【金沢・兼六園】昨今は、兼六園といえば「徽軫(ことじ)灯籠」。「徽軫灯籠」といえば兼六園といわれていますが、明治27年頃、兼六園といえば「旭桜」で、当時の兼六公園誌の地図には虹橋は描かれていますが”徽軫灯篭“は影も形もなく名称すら書かれていません。いずれ「徽軫灯籠」について書こうと思っていますが、今回は雪見灯籠の変形として紹介します。...
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