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Channel: 市民が見つける金沢再発見
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兼六園の橋④その他の橋

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【金沢・兼六園】
虹橋の小滝の下(しも)から流れる鑓水(やりみず)は、やや下りながら噴水をめざし落ちていきます。水路は無名の2つの小さい橋から虎石前の歩道の下を流れ、さらに常磐ヶ岡の2つの無名の橋の下をくぐり噴水の池に注ぎます。



(噴水)

(虹橋から噴水まで)

(無名橋a)

(無名橋b)


(虎石前の無名橋c)

(無名橋e)


その鑓水は噴水から白龍湍に流れ込み、別に霞ヶ池から流れる鑓水と黄門橋の上(かみ)で一つの流れになります。流れが一本になった鑓水は緩やかに下り、無名橋の小さな二つの橋をくぐり、茶屋三芳庵の下をくぐり瓢池に注がれます。



(無名橋f)


≪汐見橋≫
現在の橋は、平成17年3月に架け替えられた板橋ですが、昔は船底板張りの飾り気の無い素朴な橋だったと聞きます。藩政期は、この橋から西方に遠くの日本海が眺められたことから汐(海)が見えたことからこの名が付いたといわれています。



(汐見橋)


(当時の町並みは家も低く、高い樹木も無かったので金石辺りが見えたのでしょう。言葉で聞くと何となく分ったような気がしますが、今は橋に立っても海は想像出来ません。)


≪日暮らしの橋≫
言い伝えによると、瓢池に架かる「日暮らしの橋」に立つと滝の水爆の饗音と景観が素晴らしく、眺めていると何時までも飽きないので、日の暮れるのも忘れる程だということからこの名が付いたといわれています。11代藩主治脩公が書いた日記「大梁公手記」の安永3年(1774)6月1日の翠滝に「今日懸かる。甚宣。凡そか程大なる滝はいまだ不見立也」と喜んだ様子が書かれているとか、日の暮れを忘れたのは治脩公だったのかも・・・?





(日暮らしの橋)


(始めは芝橋で、踏み石の幾何学的な美しい四半模様の石橋は、後に架け替えられたと聞きます。)



(兼六園の橋図)




(無名橋h・三芳庵横)


≪内橋亭≫
今の茶屋街のところに藩政期は馬場があり、5代藩主綱紀公が馬見の亭を建てたといわれています。同じところに11代藩主治脩公が馬見所を兼ねたお茶室を復活させます。馬場に面した八畳間と奥の六畳間の間に川が流れていたので、2つの部屋の間に橋を架けたこおから、家の中に橋があるということで内橋亭と呼ばれるようになったといいます。明治7年(1874)兼六園が一般開放されるようになり、現在の霞ヶ池に移されたそうです。現在は、普段、入ることができませんが、毎年5月7日に、兼六園が一般開放された記念としてお茶会が催され、その日だけは、どなたでも入ることが出来ます。


(内橋亭)

(藩政期、鯰の手水鉢があったことから、「鯰の亭」といわれたとも伝えられています。)



(瓢池、梅林辺り)


≪栄螺(さざえ)橋≫
この近くに栄螺(さざえ)山があることからこの名が付いたといわれています。橋はわずかに反った三枚並べの赤戸室石。ここには霞ヶ池の堰があり溢水(いっすい)はここから翠滝へ流しています。言い伝えによると、藩政期、一朝事あるときは、外敵から城を守るため、百間堀の水位を一挙に上げて防ぐ備える仕掛けがあったと伝えられています。堰の直ぐ前の「水落とし」と呼ばれる松材の装置が隠れていたとか・・・。しかし、霞ヶ池の水量では全て百間堀に落ちても大して水量が増えないという説もあります。




(栄螺(さざえ)橋)


≪時雨亭にある無名の橋≫
時雨亭は、平成12年(2000)に再建されたもので、藩政期は今の噴水前の茶屋のところにありました。最初の建てたのは5代藩主綱紀公で、蓮池之上御殿とか蓮池御亭などと呼ばれていました。



(無名橋s・何時も止め石が見える橋)


(止め石(とめいし)とは、日本庭園や神社仏閣において、立ち入り禁止を表示するために用いられる石。関守石(せきもりいし)や留め石、関石、極石、踏止石などともいいます。丸い石に黒い棕櫚縄を十文字に掛けたものが使用されます。)


(無名橋r・時雨亭内の橋)


詳しくは「今も昔も時雨亭辺り」
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11843109350.html


≪梅林と千歳台崖下の無名の橋≫
梅林(旧長谷川邸跡)は、明治の初め2代目の金沢市長長谷川準也が邸宅を建っていたので長谷川邸跡広場と呼ばれていましたが、明治100年を記念して昭和44年(1969)に梅林や児童園が造られていました。平成12年(2000)に特別名勝の指定の条件として庭園化されました。庭園は梅だけでなく多様な樹種の木が入り下草も植えられています。(面積は約5000㎡)



(梅林の無名橋O)


(崖下の無名橋l)

(崖下の無名橋k)


参考資料:「兼六園全史」「特別名勝兼六園」「兼六園の古今」等々


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