【金沢市】
遅れてすみません。会期が終わってからの報告です。1月30日まで武蔵ヶ辻の金沢アートグミで開催されていた「金沢しきたり展・金沢ことば」です。金沢大学の先生で言語学者の加藤和夫先生が監修され、私も多少関わらせて戴きました。
“金沢ことば”を使って作られた商品や街中の広告などが集められ、先生の講演会、先生が解説書を手掛けた金沢弁がいっぱい出てくるビデオの上映など「見て、聞いて、話して、楽しめる」会場では、私も思わず口に出る金沢弁の独り言や懐かしさから知人や身内の声が聞こえてくるような気がして懐かしく思いました。
(講演の加藤和夫先生)
来場者も何時ものアートファンとは違い年配の方も多く、また、滞在時間が長いので何かあったのではと係りが見にいったこともあったとか、概してゆっくりと読んだり見たりと楽しんで行かれる人が多かったようです。
最近では、金沢に住む人でも金沢弁を使うのが少なくなりましたが、一方でインパクトがあり、印象が強いことから注目され、広告など様々な場面で活用され始めています。過去には、学校では標準語重視で、不器用な者には、方言がいじめの対象のなった時代もありました。
また、長い歴史の中で、金沢と近郊で育まれた金沢弁には微妙な違いがありますが、最近では、自分があまり使っていない人に限って、それなりの金沢弁へのプライドなのか、俺のが、私のが、金沢弁だという思い込みからか、目糞、鼻糞なのに、お互いに譲らないのが金沢弁と金沢人のおかしなところです。
随分前になりますが、美術館のある展覧会で館内の音声ガイドに金沢弁でやろうという事になり、私が金沢弁で吹き込み実施したところ県外のお客様のアンケートでは「金沢弁まで聞けた」と概ね喜んで戴けましたが、手厳しかったのは、地元のお客様で、多くは、あんなの金沢弁ではないという声でした。
(多分、私の金沢弁は皆様のおっしゃるように、本来の金沢弁ではないのでしょう。東京に出た時も自分なりに金沢弁で通した積もりでもコミュ二ケーションですから知らないうちに変ったのでしょう。それより何より学校での標準語や近郊育ちの母親の言葉が底にあるのでしょう。正当の金沢弁を話す方には不愉快でしょうが、でも、私は今、金沢弁丸出しやということになっています。)
(金沢弁の新聞漫画)
私の金沢弁のルーツは、母の言葉に尽きると思います。母は普段、穏やかな金沢弁でしたが、直情型の母は、怒り出すとお里が知れるというか、川筋育ちの荒っぽい言葉が飛び出しました。ある時、叱られ母は鬼のような顔になり、私はヤバイと思い、絶対に追いかけてこないと思い、少し離れた電車通りへ逃げ出し後を振り返ると箒を持って追いかけてきました。
(会場の金沢弁の字)
一部始終を見ていた幼馴染によると、母は「おどれそのその」といって追っかけていたといいます。そのように言ったかどうかは、私には知る由もありませんが、以後、何年も彼には「おどれそのその」とからかわれましたが、これも金沢弁だったのでしょうか・・・。
また、今も「やくちゃもないわいね」とか「おとろっしゃ」という金沢弁を聞くたびに母が思い出されます。