【金沢・兼六園】
貴人口側に「竹根石手水鉢」があります。小間の茶室の露地に用いられる蹲(つくばい)の形態をしていますが、役石の配石がなく、茶室の約束事とは異なることから竹根の化石として、景趣のため据えられたようです。しかも出自は幕末に活躍した粟ヶ崎の豪商銭屋五兵衛が南方から持ってきて前田家に献上したものだと伝えられていました。
(露地の竹根手水鉢)
高さ65cm、直径42cm、厚さが5~8cm。中央が空洞で水が貯められようになっています。昔から太い竹の化石だといわれてきましたが、昭和27年(1952)大学の先生が、この破片を見て持ち帰り分析したところ現在は死滅した南方産の古代ヤシ類の化石だということが分りました。
約1億3千万年前のものだとかで同種のものは米国に1個あるだけで、学術上非常に珍しいということから旧藩主の姓と先生の姓をとり「バルモキシロン・マエダ・オグラ」の学名がつけられ一躍有名になりました。因みに和名は「マエダヤシ」です。
(夕顔亭の全景)
翌年、浅野川でヤシの化石が見つかり「マエダヤシ」とは同属で別種の「バルモキシロン・カガエンセ(和名カガヤシ)」として論文発表されています。
(竹根石手水鉢)
平成元年(1989)犀川上流に分布する医王山層(中新統:約1700万年前)の中から「マエダヤシ」が見つかったため、ほかの標本も同じ地層から洗い出されたと考えられるようになりました。そのことから当時の金沢一帯は熱帯に近い気候でヤシの木が生えていたことが分りました。
渡来説も銭屋五兵衛の話もその調査研究で怪しくなり、歴史ロマンは吹っ飛んでしまいましたが、ヤシの木の化石は今でも数例しかなく極めて希少な化石であることが分り、観光ボランティアガイドとしては、ヤシの化石であることは勿論、少し怪しい伝説も話しのネタとして伝えていかねばならないと思っています。
それにしても、随分前にヤシの木の化石という事が判明したのに、今でも「竹根石手水鉢」と言い張っているのが“ガッテン”がいきませんネ・・・。
(秋の瓢池から左端の夕顔亭が・・・)
参考文献:「兼六園全史」昭和51年兼六園観光協会発行・「金沢めぐりとっておき話のネタ帖」北国新聞平成26年11月発行など