【金沢・兼六園】
夕顔亭露地にある立ち蹲(つくばい)の伯牙断琴の手水鉢「(はくがだんきんのちょうずばち)」は、金沢の坪野で産出される黒い石で造られていて高さは45cm、直径85cm。下に敷かれている四角の白い石は御影石で黒と白の対比が印象的です。また役石は能登産の木の葉石といわれる珍しい化石です。
(役石とは、日本庭園の飛び石や石組みで,修景・機能などの面から要所に約束事として据えられる石です。また、木の葉石は、多数の木の葉の化石を含んでいる堆積岩です。)
(伯牙断琴の手水鉢と露地)
(黄土色の石は、役石の木の葉石)
伯牙断琴の手水鉢の作者は、5代藩主前田綱紀公が寛文年間(1661~1672)に京都から招聘した名金工下後藤家9代程乗です。「東北遊記」という文書によると、綱紀公が程乗に彫刻の材料を問うと「私は金工家ですから、彫る材料は金属に限ります。」を答えたところ「それは不自由なことだ!!」と皮肉をいわれ、発奮して石に挑んだ作と伝えられています。
(5代綱紀公の時代、金工の後藤家は、江戸に上後藤家、京には下後藤家があり、上と下の後藤家が交代で加賀に来て前田家に仕えました。)
この手水鉢は、人の意表を付く型破りの大きさですが、露地としての侘びの風情を失わず、今も見るものに強い印象と存在感が伝わってきます。
(「伯牙断琴」とは中国の古い歴史書「蒙求(もうきゅう)」の故事「伯牙絶絃」がモデルで、“琴の名手伯牙には鍾子期というよき理解者がいましたが、鍾子期が亡くなったため、伯牙は終世琴を弾かなかったという話”で、手水鉢には、絃を絶ち琴を枕にして伏し、意気消沈した伯牙の姿が浮き彫りにされています。)
余談:利常公が箱書きをしたといわれる中国製の青銅製「伯牙断琴」の筆架が、石川県の鶴来で発見されたと、平成11年発行の「兼六園の今昔」に書かれています。夕顔亭の図柄に瓜二つのところから程乗が利常公の蒐集した青銅製「伯牙断琴」を手本にしたのではと・・・?はたして・・・。
(景石とカシワの枯れた葉)
奥の露地にある景石の近くにカシワが植えられています。落葉樹ですが、葉が枯れても新芽が出るまで落ちないといわれていて、葉が枯れても死なないということから、生命力の象徴として、前田家が跡目相続を祈念して子々孫々繁栄を願って植えられたといわれています。
(景石とは、日本庭園で、風致を添えるためにところどころに置かれている石。捨て石。)
露地の真ん中辺りにある椎の古木の下に井筒があり、そこから落ちる水は手水鉢への補給にも使われ、雅趣に富んだおもしろい風情を醸しだしています。
(つづく)
参考文献:「名勝兼六園」文新保千代子昭和46年(株)北国出版社発行・「兼六園全史」昭和51年兼六園観光協会発行・「兼六園の今昔」下郷稔著平成11年中日新聞発行・「兼六園を読み解く」長山直治著桂書房平成18年発行など