【金沢・兼六園】
夕顔亭は、瓢池の東岸にある翠滝と相対して建つ数寄をこらした茶席です。11代藩主治脩公の「大梁公日記」に新しい御亭のことを瓢池に浮ぶ島の中に建てられていることから「蓮池中嶋の亭」「中嶋の亭」と書かれているそうですが、当時の絵図を見ると蓮池の中の二つの島の一つに描かれている滝見御亭が今の夕顔亭だといいます。
翠滝の1ヶ月遅れの安永3年(1774)7月朔日に建てられたもので、今も創建当時の場所に、昔のまま形で残る園内唯一の建物です。もとは池に浮かぶ島に建てられていましたが、明治に入って一部埋め立てられ、現在は陸続きになっています。
(夕顔亭平面図)
古田織部好みの茶室といわれる三畳台目、中柱出炉、下座床、大名の茶室らしい相伴席をもつ形式で、雲雀棚という二段になった釣棚をもち、控えの間と水屋、給仕の間との四室で約12坪(40㎡)、京都藪内家に伝わる茶室「燕庵(えんなん)」とほぼ同じであることから、その写しともいわれています。
(茶室)
燕庵との違いは、小間の茶室の特徴である躙口(にじりぐち)がなく、障子2枚の貴人口がついています。床の前に八寸一分(約27cm)の板があり、三畳がやや広くなっています。また、小間でありながら翠滝の景観を楽しむ開放的な茶室です。
(小間は外界との遮断を特性としますが、夕顔亭では、新緑や紅葉を愛で、翠滝の音を聴くという全く反対の趣向が際立っています。)
夕顔亭の名は、待合の床の袖壁に夕顔(瓢箪の古語)の透彫りがあることからといわれ、今は「夕顔亭」に定着しています。治脩公によって建てられて以来、「中嶋の茶屋」「滝見の御亭」「夕顔御亭」「瓢々庵」「観瀑亭」など10余の呼名で呼ばれていました。
(夕顔の透彫りは、壁のデザインですが、床に懸けられた墨跡を見るための明かり窓の役割を持っているのだといいます。昭和44年(1969)からの復元修理においても、ここだけは朱壁の塗り替えず、昔の色を残したといいます。)
昭和44年(1969)秋から徹底的な解体復元修理が施行されます。宝球形茅(かや)葺屋根を二つ入れ違いにならべ、正面と西側にかけて杮(こけら)葺きの深い庇と、東側面から背面にかけて同じ杮葺きの下屋をもうけ、さりげない茅葺のただずまいが翠滝など周囲の風景と相まって四季折々、兼六園を代表する美しさを醸し出しています。
(余談:平成16年(2004)2月の北国新聞に、35年ぶりに茅葺屋根の葺き替えが行われることになり、、県は補修費2500万円の予算が計上されたという記事が載っていました。)
(つづく)
参考文献:「名勝兼六園」文新保千代子昭和46年(株)北国出版社発行・「兼六園全史」昭和51年兼六園観光協会発行・「兼六園の今昔」下郷稔著平成11年中日新聞発行・「兼六園を読み解く」長山直治著桂書房平成18年発行など