【金沢・兼六園】
明治44年(1911)明治の文豪田山花袋が博文館発行「新撰名勝地誌 巻六」の兼六園の紹介記事に「即ち是レ高松ノ栗林園、岡山ノ後楽園ト共ニ、本邦三大公園ト称セラレタル公園ナリ・・・」と紀行文に載せています。ここでは水戸の偕楽園を外し高松の栗林公園を組み入れています。
(各地では、ご当地贔屓から、熊本では「水前寺公園」、鹿児島は「磯庭園」などを組み入れるケースもあったそうです。また、その反対で、“近県憎し”が働いて外すというもあったかもしれませんネ。関係が有るかどうかは分りませんが、田山花袋は水戸のある茨城県の隣の群馬県館林出身です。)
それにしても、日本を代表するような立派な庭園は、京都・東京をはじめ全国にも数多くありますが、何故大名庭園なのかですが、聞くところでは、明治3年(1870)水戸藩の江戸上屋敷の大名庭園(現小石川後楽園)に、明治天皇の行幸や皇族の行啓があり、西欧人の観覧者も多くなり、西欧にも日本の名園として知られるようになったことに因るのではという説があります。
明治政府が、このように西欧人が好み、賞賛される庭園は、日本の文化発信に有効であるとして、水戸藩の上屋敷の庭園のような大名庭園を選定したのだというもっともらしい話が伝わっています。選定したのは強圧的で発言力がある薩長閥のさる人物だとか・・・。
(こんな話もあります。三名園は水戸藩最後の藩主徳川昭武の意向が強く反映したといわれていて、水戸藩「後楽園」の名の継承を岡山の後楽園(元御後園)に委ねたのも昭武だとか、また、昭武はパリ万博(1867)に将軍慶喜の名代として赴き、日本庭園を紹介しているという話が伝わっています。)
(瓢池の観光客)
何故「三名園」というのでしょうか、優れているという栗林公園も入れて「四名園」ではいけないのでしょうか?
疑問ついでに、日本人は、「三」が好きだということについて調べてみました。調べてみると“三何何”の大部分は歴史的、史料的な根拠はないということらしい。全国的に有名な名所・旧跡を2カ所取り上げ、そこに地域の名所を加えることによって権威付けしよとしたのだとか、何でも日本人は三つを一くくりにするのが好きだとか、話す時は3つに絞ってしゃべると理解してもらいやすいともいわれているそうです。
(桂坂口)
また、日本では名所旧跡だけでなく「三羽烏」「三巨頭」「三本柱」とか、はたまた「早起きは三文の得」、「石の上にも三年」、「三度目の正直」など「三」の付く諺や言い方が多いようです。
(「四」は死につながるといわれているので、日本人には無理かも・・・。)
(金城霊澤)
≪こんな説もありました。≫
陰陽思想で奇数が陽、偶数が陰で、奇数を陽数として尊び偶数を陰数として嫌うことから、 三三九度や七五三といったおめでたい儀式に奇数をつかっています。また、三は「満つ」や「充つ」に通じる非常におめでたい数だとする説、一や二は点や線でしかないが三になると、始めて面が完成する、だから三が好きなのだろう・・・とか・・・。
暇つぶしとは言え、また、どうでもいい話を書いてしまいました。すみません。
参考文献:「兼六園を読み解く」長山直治著 桂書房2006年12月発行ほか