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瓢池と翠滝

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【金沢・兼六園】
瓢池は、兼六園で最も古い時代に作庭された蓮池庭(れんちてい)にあります。池の中には不老長寿の島神仙島をかたどった二つの島と岩島があります。一番大きな夕顔亭が建つ中島は橋や料理屋が建っていて陸続のよう見えますが、今もれっきとした島になっています。


(神仙島は、秦の始皇帝の神仙蓬莱思想の故事に倣ったものらしく、渤海に浮ぶ蓬莱、方丈、瀛州(えいしゅう)という三神山に因むものといわれ、蓬莱は夕顔亭のある中島、方丈は海石塔のある亀島、瀛州(えいしゅう)は松が鶴の羽のように植えられた岩島ということになりますが、昔の絵図には岩島がなく、近代に入ってから作られたものと思われます。)



(秋の瓢池①)


瓢池は、蓮池門を入って右手に広がり、東西90m、南北45m、周囲約270mで、兼六園の4つの池のうち霞ヶ池に次いで2番目に広く、池の中程が少しくびれて、瓢箪のような形をしているとかで(余りくびれていない)名前が付けられたといわれていますが、他説では、池に浮ぶ島の姿からというのもあります。



(秋の瓢池②)


そもそもは延宝4年(1676)に5代藩主前田綱紀公が作事所跡に蓮池御亭(現在の噴水前)と称する別荘を建て、その周辺を蓮池庭としたところから始まり、後に11代藩主治脩公が、庭内にあった中島の泉水(瓢池)の七瀬滝を翠滝に、滝見の御亭(夕顔亭)を再整備し、現在のようになったといわれています。中島の泉水(瓢池)は治脩公が藩主になると、ここで鳥の捕獲を目指していたらしく、仮設の寄せや垣を作り小屋を設けていたそうです。後、寛政の頃に描かれて絵図には、御舟小屋もあり舟遊びも行われていたのでしょう。


(日暮し橋と翠滝)

夕顔亭のある中島から日暮し橋を渡ると亀島です。島には六重の「海石塔」があります。灯篭は奇数が約束事ですが、この塔は六重で珍しい灯篭です。藩政初期3代藩主利常公が造らせたものといわれ、玉泉院丸庭園にあった十三層石塔の一部を移したものだといわれています。



(海石塔)


近年、研究者の調査で、利常公が小松城に半分の七重の塔を据え、明治になりその七重の塔が能美市寺井の奥野八幡神社に移されたことが分ったそうです。


(また、朝鮮出兵の際、加藤清正が持ち帰ったものを後に豊臣秀吉が、前田利家公に贈ったという説もありますが、灯篭の石材の全てが地元産(青戸室、坪野石等)という事が分りました。となると眉唾などどころか真っ赤っ赤の嘘のようです。)



(海石塔と枝垂れ桜)


海石塔の傍らには名物の一つ枝垂桜があります。かっては春には美しい花を咲かせていました。台風で倒木し、幹の一部が残り、今も春になると数本の枝に花が咲き、かっての妖艶な美しさはありませんが、健気に命を燃やし儚く侘しい風情を醸し出してくれます。


(島には亀の形をした大きな石や島の側面には亀が首を出しているような亀頭の形をした石が幾つか見え、隣の鶴を模した松のある岩島と対になり“鶴亀”を並べ不老長寿を願ったのでしょう。)


(亀島の亀石)

(亀頭のような石)


桜が終わると滝の上から楓が繁り枝を垂らし、藤の花や楓のみどりを池畔に映して美しい、まさに幽邃の景が広がります。また池畔の楓は11代藩主治脩公が紅葉の名所竜田川・高尾・小倉山などからとり取り寄せ、京都の嵐山を模して植えられたものだといわれ、秋には紅葉狩りで賑わいます。


(瓢池の楓)

(藤棚と翠滝)

翠滝は高さ6.6m、幅1.6mの滝で園内の中では最大の滝です。滝の水は霞ヶ池から流れ瓢池に注ぎ込まれます。水量が豊富で、滝音も大きく、荘厳さと迫力ある滝は、兼六園の中でも特に優れた庭景の一つです。代々の藩主が夕顔亭から、滝音を聴きながら一服のお茶を楽しまれた風情が想像できます。




11代藩主治脩公の「大梁公手記」に、安永3年(1774)5月10日、治脩が馬で、滝の出来具合を確かめに行き、滝はなかなか良い出来だが水量が少なく、音も良くないと書かかれているそうです。20日後、6月朔日の項に「・・・蓮池瀧今日懸る。甚宜(はなはだよし)。・・・」とあり、完成した滝に満足している様子が伺えます。翠滝が完成した1ヶ月後の7月朔日には瓢池に浮かぶ島に茶室(現夕顔亭)が完成し盛大な茶室開きが行われたと伝えられています。



参考文献:「兼六園を読み解く」長山直治著桂書房平成18年発行など


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