【金沢・兼六園】
石灯籠は、お庭を引き立たるために置かれたもので、添景とか点景といわれ、お庭の主役ではありません。兼六園では”徽軫(ことじ)灯籠”があまりにも有名になり、その名声は兼六園だけに留まらず金沢のシンボルとしても名を馳せていますが、灯籠は本来、さりげなく、実は緻密に配慮し、それを気づかせないように置くのだそうです。
(さりげなく置かれた夕顔亭の春日灯籠)
兼六園の春日灯籠は、平成12年に再建された時雨亭の2基を含めても園内では8基ですが、国内では建立数が随一だそうです。奈良の春日神社に由来し、献灯具でしたが夜の茶会の照明に取り入れられ、いろいろな形のものが造られようになり宮殿や大名屋敷、茶室など日本庭園に広く用いられようになりました。(兼六園の建立数は、成巽閣、金沢神社、茶屋は除きます。)
春日灯籠は、小型で回遊式庭園ではコースから離れたところにひっそりと佇んでいます。兼六園では、噴水横にある春日灯籠は高さ2,5mと大型のものですが、だいたいは小柄で人目のつきにくいものです。しかし、よく見ると繊細な細工が施されているものもあり、おおむね端麗で美しい姿をしていて魅かれます。
≪蓬莱島の春日灯籠≫
蓬莱島の頂上に芴谷石(越前石)の春日灯籠があります。聞かなければ気がつかない小さな春日灯籠で、藩主に繋がる物語があります。この灯籠には、今は剥落して読み取れませんが、金沢城の大奥で12代藩主斉広公に仕えた一人の女中の名前が刻まれていたといいます。
(蓬莱島の春日灯籠)
これは栄螺山(さざえやま)頂上の斉広公の霊を弔うために宝塔が造られたとき、お側に仕えて女中の一人一人が自分の名を刻んで献灯し、それらを栄螺山の登り道に立てますが、明治になり兼六園が一般開放されると、一つ減り二つ減りして、最後に一つ残ったのを蓬莱島に移して保存したものだといいます。
(栄螺山(さざえやま)に宝塔)
(蓬莱島(亀甲島)亀の形の島)
≪噴水横の春日灯籠≫
日本で最古といわれる噴水横にある春日灯籠は、樹林の中にあり、だいたい3,5m上がるという噴水に目を奪われ見過ごしがちですが、兼六園の春日灯籠としては2,5mと一番大型で、火袋は六面で、二面は火口で、四面には「月」と「日」そして二面に「鹿」が彫られていて、石材は青戸室石、笠は重厚で、苔に覆われていますが一部破損しています。
(噴水横の春日灯籠)
≪内橋亭前の春日灯籠≫
その春日灯籠は、内橋亭の前、「親不知」寄り、つい見過ごして通り過ぎますが、瑪瑙(めのう)の原石の後にひっそりと立っています。高さは1,6m、宝珠、請花は小さく低い、竿は比較的太く、火袋は六面、二面は長方形の火口、他の面には日輪の透かし彫りに雲を添えたもの、鹿の浮き彫り模様などが彫られ、全体に繊細で奥ゆかしい感じです。
参考文献:「特別名勝兼六園」1997・橋本確文堂発行など