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兼六園の日本最古の噴水

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【金沢・兼六園】
兼六園には日本最古という噴水があります。19世紀中期に造られたと言われている噴水で、加賀藩13代藩主斉泰公が金沢城の二の丸に噴水を上げるため、現在のところに試作として造られたものといわれています。



(兼六園の日本最古の噴水)


動力を一切使わず揚水するもので、いわゆる逆サイホンの原理で高い位置にある霞ヶ池を水源に、池の水面との高低差を利用した自然の水圧で吹き上がっています。水の高さは通常約3.5mあり、霞ヶ池の水位の変化によって変わります。ヨーロッパの庭園と違い、あるがまま自然に逆らわず作庭される伝統的な日本庭園としては、噴水があるのは極めて異色といわれています。



(現在、噴水の案内板)

(以前の文久元年と書かれた噴水の案内板)


現存する日本最古の噴水だそうですが、かって、兼六園では文久元年(1861)に造られた日本最古のものだとしていましたが、水戸の玉龍泉の方が天保13年(1842)に造られもので古いのではといわれるようになります。




(兼六園の霞ヶ池と噴水の図)


その後、金沢でも19世紀中期と書かれた古文書が発見されたらしく、現在、案内板では、19世紀中期とし日本最古と書かれています。それにしても水戸の玉龍泉は湧水を集水したもので、用水の水を引き入れた兼六園の噴水と同じものと考えるのに無理があるように思いますが・・・地元贔屓かも。


(残念ながら私には、その古文書については分りません。詳しくは兼六園へ)



(霞ヶ池側から見た噴水)

(霞ヶ池)


≪逆サイホンの原理≫
この技術は日本では「伏越(ふせごし)の理」とよばれ、高低差を利用し、兼六園のところで、いったん落とし込んだ水を駆け上げ、金沢城二の丸に上げるのに用いた原理です。


(兼六園に入り込んだ辰巳用水の水を、虹橋前(標高53,6m)より、石川橋(百間堀の上、標高42,2m)の導水管を通し、さらに城内二の丸(標高50,2m)へ上げられていました。)




(兼六園の虹橋前の取入口より石川橋へ)


この原理は、古代ギリシャの数学者ヘロンが考えた仕組だそうで「ヘロンの噴水」と呼ばれているもだと聞きます。日本では、この原理の用水として、家康の命で天正8年(1590)に開削された江戸の神田上水で、大掛かりなものとして寛永9年(1632)に完成した金沢の辰巳用水、承応2年(1653)に玉川上水でも用いられたそうです。

(噴水と朝日)


(逆サイホンの原理:紀元前312年のローマ水道が初めて用いられたといわれていますが、日本人はサイフォンの原理を早くから知っていたらしく、飛鳥時代(7世紀)に利用されていてこの原理を利用して飛鳥寺の西に噴水が造られていることが「続日本書紀」の持統天皇の条に記録されているそうです。)


犀川から浅野川へ・・・辰巳用水①
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11727805597.html


≪サイホンの原理と逆サイホンの原理≫
サイホンの原理:管が水面の上にあっても、ある程度の高さまでは入口と出口の水位差で自然と水が流れます。身近な例では、灯油をストーブに入れるときの灯油ポンプ。


(サイホンの原理)

逆サイフォン(伏越し)の原理:サイフォンを逆さにしたものです。水の流れが目に見える開水路(かいすいろ)がつながっていなくても、水位差をもたせることで、入口からは水が吸い込まれるように入っていき、出口からは吹き上がるように水が出てきます。



(逆サイホン原理)


以下の写真は、平成25年(2013)夏、霞ヶ池の堆積土砂の除去中に撮影したものです。





(霞ヶ池の取水口)



(霞ヶ池が排水されたため噴水が止まる)

(噴水のノズルの模型)


(当時、水が上がらない噴水と案内板)

(当時、水の無い霞ヶ池)


参考史料:「続・梅干と日本刀」樋口清之著、昭和50年4月、(株)小学館発行ほか


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