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Channel: 市民が見つける金沢再発見
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卯辰山の伝説ツアー

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【金沢・卯辰山】
先日、雨の中、卯辰山の“伝説ツアー”を20数名の仲間と敢行しました。天気予報が大当り!!昨年もこのグループで犀川上流を歩きましたが、その日も雨、年に何回もこのグループで街歩きをするのですが、雨に遭うのは、この花見時期だけ、やる前から“また雨や”という人もいたりしますが、今年は、天候不順で随分寒く雨の日も多かったので、今年はそんなに続かないだろうと多寡を括っていたのに、やっぱりでした。このグループの中には春にだけ雨女か男がいるのでしょう。


(“伝説ツアー”と書きましたが、本当は仲間内の花見とガイドの勉強会です。この間、facebook友達が”伝説ツアー”といっていたので、この方がおしゃれで今風に感じたのでパクリました。)



(天神橋詰の山桜)


今回の花見&勉強会は、皆さん張り切っていて、特定の講師が解説するというのではなく、グループの中から進行役や道案内、そして各ポイントでの解説役が決められ事前に各人が下見をし、数日前に担当者が集まりリハーサルもしましたが、雨は無情にもスタートしばらくで降りだし、コースも時間もハショリ、3時ごろまでの計画が実行できず、工芸工房の駐車場でお弁当を頂き昼過ぎに山を下りました。


(集合場所の東屋)

当日のコースは、天神橋詰→西田幾多郎先生旧跡→泉鏡花句碑と比翼塚→観音院→蓮如上人銅像→宝泉寺→安政の泣き一揆でお城の向かって叫んだといわれる場所→安達幸之助碑→卯辰三社(天満宮、豊国神社、愛宕社)→日蓮上人銅像→玉兎ヶ丘(鶴彬句碑、庚申塚)→徳田秋声文学碑→キリススト教殉教者の碑→花木園(四百年の森を見下ろす)卯辰山三角点→ホルトマンの墓→卯辰山工芸工房→一本松→宗龍寺→蓮昌寺まで。


(桜の下の西田幾多郎先生旧跡で解説・まだ雨が降ってきません。)

西田幾多郎先生旧跡は、天神橋からバス道路を最初のヘヤピンカーブの左手に石碑と案内板が立っています。ここは国泰寺住職雪門禅師の洗心庵の跡で、「善の研究」で知られる哲学者西田幾多郎が参禅のため約9年間通った跡だそうです。解説は、アメリカで禅を伝えている方とガイド活動で知り合いかほく市の西田幾多郎記念哲学館までご案内したというメンバーが実のある解説しました。


卯辰山①卯辰山は向山(むかいやま)
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11545867746.html


(泉鏡花の句碑)


並木町の泉鏡花顕彰碑
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-10544419216.html

主計町のはやしさん(林菓子舗)
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-10816770603.html



(比翼塚)


比翼塚:塚は真ん中に「比翼塚」と彫られ、下部、左に「十太郎・みね」右に「文政十二年丑六月・卯辰若連中」と彫られています。比翼とは2羽が重なって1羽で飛ぶ夫婦鳥のことで、遊女と馴染みの客の心中を悼んで塚を立てたらしく、元は観音院の裏山に有ったもので昔は句碑のすぐ横に置いてあったとか、今あるのはそれとは違うという話もあります。


(三田良信監修「石碑でめぐる金沢歴史散歩」を参考にしました。)



(観音院の桜)


”心の道“癒しのスポット②観音院
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11151914929.html



(卯辰山の蓮如さん)


大正・昭和の初めの蓮如忌
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11828982715.html






(宝泉寺)


”心の道”癒しのスポット③宝泉寺
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11154606806.html



(泣き一揆で叫んだところ、城まで約1.7km)


伝説ですか実話ですか「安政の泣き一揆」
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11282842364.html



(卯辰山天満宮)


天神さん④卯辰山天満宮
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11500858864.html



(日蓮上人銅像)


「町の踊り場」と十代目水野源六
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-10619354251.html



(庚申塚の碑が枯葉の山に覆われていました。)

(以前に撮った庚申塚碑)


卯辰山⑥庚申塚
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11557613654.html



並木町2静明寺④安達幸之助
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-10539916912.html



(後から徳田秋声文学碑)


並木町2静明寺⑤徳田秋声
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-10571079331.html


卯辰山⑨キリシタン(その1)
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11565414345.html



(お弁当を食べる予定だった四百年の森・上の花木園から写す)


卯辰山四百年の森:昭和57年(1972)に加賀藩祖前田利家公の金沢入城400年を記念して整備されました。花木園(昔スキー場)の下の谷あいの斜面約2htに芝生が敷かれ、約250本の桜が植えられました。園内には吾妻家(あずまや)が建てられ、車椅子利用者に配慮した散策路や駐車場が整備されて市民の憩いの場になっています。



(創設記念碑後の三角点)

(中橋徳五郎書卯辰山公園創設記念碑)


卯辰山の二等三角点:人気のない月見台東部の卯辰山公園創設記念碑の後の林の中に、設置されていて、誰かの教わらなくては見ることができません。標高141.15m埋標は昭和46年(1971)6月5日。

(卯辰山のホルトマン愛児墓碑)


ホルトマンの愛児墓碑:明治維新後のそんな金沢で西洋医学の教鞭を取っていたオランダ人医師ホルトマンは、尾山神社神門の上に立つ避雷針の指導と助言をしたのではといわれていますが、他にも、兼六園内の名水の成分分析をするなど金沢に幾つかの足跡を残っています。また、彼は金沢で最愛の3人の娘を亡くしています。今も卯辰山の共同墓地に墓碑があります。


(卯辰山工芸工房)


卯辰山工芸工房:金沢市に伝わる伝統工芸の継承発展を図るため、平成元年に育てる・見せる・参加するの3つを基本テーマとした加賀藩細工所の精神を現代に生かす工芸の総合的施設です。


(今回は、雨のため屋外で昼食をとることも出来ず、難儀をして居りましたが、快く駐車場を貸して戴きました。職員方が少し離れたところへ雨の中、案内戴きました。有難う御座いました。)



(3代目一本松は枯れたのか、伐採されていました。)


卯辰山⑦一本松
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11559647068.html



(宗龍寺)


宗龍寺:慶長十七年(1612)小立野宝円寺第四世量山繁應大和尚隠棲して金沢塩屋町(現在の明成小学校辺り)に宗江寺を創立します。その後、卯辰山の現在地に移転、岡島家の菩提所として宗龍寺と改称しました。





(蓮昌寺の桜)


蓮昌寺:日蓮宗の寺院で、天正10(1582)年、僧日寿によって創建。大本山京都妙顕寺の門末として加賀、能登、越中の触頭をつとめた寺格です、加賀藩3代藩主前田利常公の生母、寿福院の帰依所でした。丈六の釈迦如来立像を安置が有名で、高さ約4.85mの木彫りの大仏です。造像は元禄年間(1688~1704)といわれ、享保21年(1736)4月7日、蓮昌寺門前の坂下の町家から出火した大火により卯辰山山麓寺院群も大きな被害を受け、蓮昌寺も本堂が焼失しますが、幸いにも大仏は難を逃れ現在も当時のお姿を拝むことができます。


秋の坊①
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11297095045.html



(蓮昌寺の大仏)



その日の卯辰山はまだ花は散らず、しかし行き交う花見客はたった1組。以上、雨の中の”伝説ツアー“の顛末でした。腹を立てたり感謝したり、そしてオブザーバーという役割の私は、”補足“とか”付け足し“とかいって、皆さんの嫌な顔を感じながら出しゃばって、わずか半日、自分でも嫌いな私をさらけ出していました。


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