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重伝建地区「寺町台」②

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【野町1~3丁目、弥生1丁目、寺町3~5丁目の各一部】
寺町台は金沢城の南西、犀川を越えた高台に位置し、前田家墓所のある野田山にむかって直線的に東に延びる旧野田道と、犀川大橋から旧野田道と交差し、南に延びる旧鶴来道で、この旧野田道、旧鶴来道の二本の街路を軸として、それぞれの道沿いに寺院が集積し、旧鶴来道沿いには寺社の門前に町家が連なっています。


野田山へのまっすぐな道を指し、“一途な人”“イチガイな人”のことを、今も地元の年配の人は「寺町まっすぐ」と、半ば嘲笑気味にいうそうです。)



(寺町台の案内板・六斗の広見)


現在の保存地区は、面積約22.0ha、旧野田道は蛤坂から寺町3丁目妙法寺までの街路沿い両側約1,5km。旧鶴来道は、妙慶寺から泉1丁目までの街路沿いの両側約1,5kmが選定さています。


(旧鶴来道と旧野田道に集積された寺院群)
●すみません。上記地図では野町4丁目の堅正寺と龍淵寺隣の龍徳寺が抜けてます。


現在、保存地区には52寺院が立地し、寺院周辺の町家とともにまとまりある町並みを形成していますが、旧野田道沿いの旧野田寺町には、直線上に寺院の土塀が道沿いに連なり、大正期の街路の拡張は有るものの寺町として特徴的な景観を形成されています。

(旧野田道の寺院)


一方、旧鶴来道沿いの旧泉寺町は、寺社門前地に形成された町家が通りに面して連なり、また、街路の拡張はなく、地割は昔の様子が残っています。このように二つの異なる景観かがこの地区の特徴です。


(旧鶴来道の寺院)


(寺院の本堂は、切妻造平入、または妻入が多く、藩政期のものがよく残されていて、寺社門前地の町家の主屋は、真壁造、切妻造平入、桟瓦葺、二階建が基本で、平屋建のものも多く残っています。)


(旧鶴来道の街路)

前回も少し触れましたが、金沢では寺院群として一番大きな寺町台が金沢の他の3地区に遅れ、平成24年(2012)に“重要伝統的建造物群保存地区”に選定されたのか疑問に思って調べてみました。


(旧野田道の寺院)


それによると、大正期、市電の開通で道幅が拡張され、藩政期の町並みとはかなり様子が変わったからだという説があります。そして、拡張に際して、犀川側が削られ後退したのだといいます。


それは“野田道(野田寺町)の左側には立派な立像寺経蔵や松月寺の有名な三代藩主利常公所縁の大桜があることから、当時、明治の衰退を経て、藩政期を懐かしむ風潮が強く、藩主につながる大桜には、誰も文句が言えなかったということからというもので、後ろが崖の条件が悪い犀川側がバックしたといいます。


(今の大桜前の旧野田道(野田寺町))


(今では、考えらないと思いますが、当時の市民感情が道路行政に影響したのでしょうか?その推測には、まだシックリきませんが、今のところはそれが定説のようです。何方かご存知でしたら教えて頂ければ幸いです。それを知ったからといってもどうってこともないのですが・・・。)



(市電開通前の大桜と旧野田道(野田寺町))



≪参考≫
日本において町並み保存が法律的なバックボーンが与えられたのは、昭和50年(1975)の文化財保護法の改正によって、ドイツをはじめ欧米の町並み保存などを参考に「伝統的建造物群保存地区制度」が発足します。それ以前にも日本各地で町並み保存の運動がみられます。昭和42年(1968)の倉敷市で「伝統美観保存条例」の制定や同年金沢市でも「伝統環境保存条例」が制定されます。



(寺町1~3丁目の商店街「寺町台商興会」)

(寺町台の保存地区以外の神社の一つ)

(寺町台の保存地区以外の寺院の一つ)


参考史料:2009・4月北国新聞記事・「都市のルネッサンスを求めて」―社会的共通資本としての都市1―2003・5月・財団法人東京大学出版会など


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