【寺町5丁目】
春は桜で知られる長久寺ですが、秋になると、本堂の前に、いい香りの白っぽい花が咲く樹齢400年といわれる2本”銀木犀(ぎんもくせい)“が有名です。その左の幹の横に芭蕉の「秋涼し 手毎にむけや 瓜茄子」の句碑が建っています。
この句は、元禄2年(1689)7月20日蛤坂のあった斉藤一泉の松源(幻)庵で、芭蕉が「残暑暫 手毎にれうれ 瓜茄子」を発表されたのち「奥の細道」では「秋涼し 手毎にむけや 瓜茄子」になったもので、その日の夕方、野田山に遊んだと曽良随行日記にあります。
(一 廿日 快晴。庵ニテ一泉饗。俳、一折有テ、夕方、野畑ニ遊。歸 テ、夜食出テ散ズ。子ノ刻ニ成。)曾良随行日記
長久寺は野畑(野田山)への野田道左手にあり、碑銘は元禄7年(1694)刊の蕉門俳人「素龍」筆の「奥の細道」に拠るそうで、「奥の細道」300年を記念して昭和63年(1988)9月18日、地元の「雪垣俳句会」が建立しました。
(長久寺の桜)
私事ですが、昭和40年代、今はもうここには有りませんが、長久寺さんの隣にあったデザイン事務所に数年間ご厄介になりました。仕事だけで無く活き方、そして生き方そのものを基礎から教えられたところで、この辺りを通るたび、当時、若気の至りとはいえ、苦い思い出がよみがえり随分長く行きたくないところ一つでした。
(ケヤキの標識)
今になって思えば、その事務所では、負け犬根性が染み付いていた私に、前向きで積極的な姿勢を植え付けて戴きました。お陰様でというか、あの長久寺の大きなケヤキのように、のびのびと大らかに解放させて戴いたインキュベーターのようなものでした。
そうそう・・・。あの山門の前で冬になると凍える手で車にチェーンの掛け換えを手伝いしました。市電の最後の日の花電車の前で記念写真を撮りました。ぼんやり満開の桜を眺めていまいた。当時はまだ芭蕉の句碑はありませんが、“銀木犀”も覚えています。それから、確か同世代の高校相撲の名選手をよく見かけまいた。もしかしてお寺の方だったのでは・・・。
参考文献:「芭蕉金沢に於ける十日間」密田靖夫著・兼六園吟舎、平成12年10月発行他