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飯山のこと、高橋まゆみ人形館のこと

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【飯山市】
飯山は、昭和25年(1950)の人口約4万1千人をピークに、市制施行後の昭和29年以後も人口は減少します。現在は約2万2千人の自然豊か田園都市ですが、古くは、山国信州と日本海を結ぶ交通の要所として栄え、大和時代の越後・出羽開拓における重要な駅路で、室町時代より仏教信仰の高まりから寺が多く開山されたそうで、現在も市域には40数ヶ寺があり、市街地の山側には21ヶ寺が寺院群を形成しています。



(江戸時代の藩主本多家の菩提寺忠恩寺)

(飯山のパンフレットより)


室町後期戦国時代は、上杉謙信の川中島出陣の前線基地として、永禄7年(1564)には飯山城が築かれます。江戸時代には、幾度かの城主の変転を重ねる中で、城下町としての機能を整え、江戸初期から中期にかけては、千曲川を利用した舟運と越後に通じる街道を使った物流機能が発達します。


(雁木の仏壇通り)

(雁木の屋根が瓦風のトタン屋根)

(伝統工芸に使う金箔をトイレに・・・)


明治26年(1892)には国鉄信越線が開通したことで、飯山を経由しなくなり物流機能が失われます。その後は農業を中心として飯山仏壇、内山紙などの伝統工芸の地場産業が発展しますが、昭和の高度経済成長期に、産業が立地する条件もなく、周囲は標高1000m前後の山に囲まれた町は標高300数10mの盆地で、豪雪地帯のハンディから経済成長が停滞し、若年の人口流出から人口が減少します。



(雁木のある町)


しかし、飯山は、歴史と雪国の冬の厳しさが培った共に生きる心、お寺の文化が育んだ高い精神性が今に伝えられ、美しい山々に囲まれた自然豊かな風土と相まって訪れる人には、日本の「ふるさと」に相応しく、懐かしさと優しさを蘇らせてくれます。


(飯山のバスにも高橋まゆみさんの人形が・・・)


≪高橋まゆみ人形館≫
人形の世界と、その舞台である「ふるさと」の原風景が同時に楽しめます。名産の仏壇店が建ち並ぶ、雁木とよばれる雪国ならではの町並み、懐かしさを誘うローカル線の間に有る高橋まゆみ人形館は、時おり聞こえる付近の寺の鐘の音や雪と寺の町公園では「ふるさと」の懐かしい風情を感じることができます。


(高橋まゆみ人形館)

(懐かしいローカル線)


高橋まゆみさんの人形は、かって日本では身近に居たと思われる人や風景が登場しますが、
私を含め町で育ったものには、聞いた話しや描かれた絵の中の情景でしかありませんが、じっくり見ていると、隣近所に居たお爺さんやお婆さんに見えてきます。子供たちの中には、一緒に遊んだ友やいじめられた悪童が浮かんできます。




(高橋まゆみ人形館)


高橋まゆみさんのお名前は存知上げて無かったのですが、どこで見たのか覚えていませんが、人形や情景や言葉や文字は頭の中にこびりついていたようで、嬉しくなって、昼食の前も後も何回か出たり入ったりを繰り返しました。



(人形館のパンフレット)


(高橋まゆみさんは、2010年春までに全国90ヵ所以上で全国巡回展を展開。2010年春までに、全国95ヶ所で180万人を動員、各地で好評を博す。2010年長野県飯山市に高橋まゆみ人形館オープン。)

詳しくはwww.ningyoukan.net/ 〒389-2253 長野県飯山市飯山2941-1電話0269-67-0139「高橋まゆみ人形館」へ



(高橋まゆみ人形館の看板)


絵に添えられいる、素敵な「文章」や「書」も雰囲気から、てっきり高橋まゆみさんがお書きになってものと思っていましたが、「書」は伊藤良男さんとおっしゃる絵手紙で有名な人と聞いて、びっくり、高橋まゆみさんの作品にはこの「書」はなくてはならないのだそうです。


(伊藤良男さんは、市川市にあるパン屋ボローニャに併設されている相田みつをギャラリーのオーナーだそうで、絵手紙教室も主宰されているそうです。)


(第21回寺町サミットin飯山のチラシ)


参考資料:飯山市のホームページwww.city.iiyama.nagano.jp
高橋まゆみ人形館パンフレットなど


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