【寺町5丁目】
本隆山承証寺は法華宗のお寺です。ずいぶん前にグループの仲間と参詣しました。その時、若いご住職からお寺の由来や法華宗についてお聞きしましたが、由来は、そのとき戴いた「参詣のしるべ」という資料などもあり、少しは覚えていますが、法華宗のお話はかなり複雑で、メモをとっていたのですが、教義や初めて聞く宗派や耳慣れない言葉も多くて覚え切れなかったことが思いだされます。
由来は、「参詣のしるべ」などによると、天正元年(1573)に京都の本能寺12世日承聖人(後伏見天皇7代皇孫)から派遣された信行院日種上人が金沢で開山したもので、天正17年(1589)藩主より加賀藩士服部佐渡守が願い出て、尾張町の寺地を拝領、後に古寺町を経て元和年間(1615~1623)に、現在地に移ったとあります。
(昔の資料には、承證寺と書いたものもあります。)
元和という元号は、平和の始まりを意味するそうですが、江戸幕府が慶長20年(1615)5月の大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼしたことにより、同年7月に元号を元和と改め天下の平定が完了した事を内外に示しますが、加賀藩では、平和どころか西(福井藩)の脅威のため、城の西、寺町台に市中にあった一向宗以外の寺院を集め城下の防衛拠点にしたといわれています。
(当時、一向宗の勢力を警戒した藩は一向宗寺院を城に近い方に置き、それを囲むように他宗の寺院を配しましたともいわれています。)
(金沢市街図)
(寺町台の図)
(承証寺前の旧鶴来街道)
寺内にある鬼子母神は、安宅の沖き合いより浮かび上がったという霊験あらたかな鬼面で、年に1回節分会に御開帳されるそうです。また、山門は歌舞伎「勧進帳」で有名な源義経主従が頼朝の逆鱗にふれ、奥州平泉藤原氏へ落ち延びたときの安宅の関所の大門の遺構で、天正年間、檀家の水野源兵衛より寄進されたと伝えられています。
≪俵屋宗達の大作≫
昭和36年(1961)の地元の新聞に、ウサギを主題にした宗達晩年の作「珍しい戸板絵」が発見されたという記事が載っていました。この絵は白いハギと3匹のウサギが描かれていて、幅1,3m、高さ1,8mの杉の板2枚に描かれたもので、発見者画家山科杏亭らの談が載っていて、宗達の代表作「西行物語絵巻」の図案にひじょうに類似しているので面白いなどと書かれています。これまでは屏風などに描かれた絵が発見されているが、画題の変わった板戸に描かれてあるので、一段と貴重な存在になるとしています。
また、別の資料では、この板戸の裏面も墨で描かれた虎と豹が竹やぶからその勇姿をのぞかされいる絵が描かれているそうですが、ススが付着していてほとんど識別しにくいが、表のウサギの絵と同様柔らかな線と自由な線をつかった宗達独特の豊かさをもった筆致の絵だと書かれています。
(昭和36年(1961)8月6日の北国新聞の記事より)
掲載から半世紀以上が経過した現在、まだ決定的な根拠が見つからないのか、この作品の真贋については、何も伝え聞いていませんが、金沢には宗達の弟子とも息子ともいわれた前田家お抱え絵師の俵屋宗雪の工房があったこともあり、似たような話が幾つか語り継がれています。
(つづく)
参考資料:「金沢古蹟志(中)」森田平次著・「金澤・野町の四〇〇年」刊行委員会発行・承証寺「参詣のするべ」他