【野町2丁目】
金沢では昔から芸者とは言わず、京風に芸妓と書いて“げいこ”というそうです。芸妓の「芸」はご存知のように芸と教養を表しますが、「妓」は“お客様をもてなす女性”という事らしい。西茶屋資料館の「・・・西茶屋街の風情」には、”かつて芸妓たちは、10歳の頃から1人前の芸妓を夢見て稽古に励んでいます。彼女達は「たあぼ」と呼ばれ、置屋の使い走りをしながら、行儀作法などを仕込まれていきました。“と書かれています。
(西茶屋資料館)
(にし茶屋街・今、甘納豆のかわむら)
(資料館に有る「芸妓たちによって受け継がれてきた西茶屋街の風情)
(最近、お茶屋の旦那さんから、「行儀」という懐かしい言葉を聞きました。昔は行儀が良いとか、悪いとか、行儀作法がどうとか、何かに付け行儀、行儀と言われたのを思い出されます。今、よく言われる“おもてなしの心”は、付け焼刃では身に付くものではなく、昔のお茶屋では子供頃から仕込むことで自然に身に付いたのでしょうし、一般の家庭でも親は口が酸っぱくなるまで、子は耳にタコが出来るくらい聞かされたものですが、私は未だに身に付きません・・・。)
(検番裏の建物)
初めから堅苦しい話になりましたが、続けます。大正の初めから戦前まで西の検番には仮の教室(女紅場)があっといいます。「たあぼ」たちは屋形での下働きや行儀作法だけではなく、夕方から義務教育を受けさせるため近くの小学校から先生がきて授業をしたそうです。
(戦後は児童福祉法の制定で、子供の頃から仕込む「たあぼ」はいませんが、戦災に遭わなかった西の検番の後ろには、仮の教室があったらしい古めかしい建物が今も残っています。)
今のにし茶屋街は、芸妓を置くお茶屋が5軒、引手茶屋風が1軒、物販、飲食などが10軒と事務所、資料館があります。芸妓は、全国の茶屋街と同じで、諸事情からお座敷の数が少なくなって、芸妓衆が減ります。昭和40年代には50人いた芸妓も今は19人と数年前から見ても4~5人減っていますが、芸の水準は東京、京都に匹敵するといわれています。
(先般、お亡くなりになった「美音」の女将峯子さん(藤舎秀扇)の笛と「明月」の女将乃利さん(堅田乃利)の鼓は「一調一管」といい、今も語り草になっていますが、常に伝統にあぐらを掻くことなく東京などから人間国級の師匠を招き努力を怠りなく高い水準を保っているそうです。)
金沢では昔から芸妓を卑しむことは少なく、今も伝統芸能の継承者として一目置かれていると言っても過言ではなく品位品格においては全国的に有名です。それは明治になり、没落した士族の娘が家計の事情で芸妓になったことによると言われていますが、古くは、藩政期、綿津屋政右衛門らにより、役者などプロの芸能人によって厳しい稽古で本物の芸が身に付いたという伝統に明治以後も目の肥えた客に見られることによるところも大きいのだと思います。
(昔からある茶屋街の松)
“お茶屋遊び”というのは昔から成功者の証ともいえ、出世途上に金儲けの出来た人の金の捨て場所といわれ、数多くの一流男性が酒席という最も「素」が出やすいところから、悲喜交々の話の宝庫だといわれていますが残念ながら、私、一般市民に語るだけの材料がありませんのでこの辺にしておきます。
お茶屋さんには「一見さんお断り」という壁があります。これは常連のお客様を大事にすると言う気持ちからで、どんなにお金をお持ちの方でも紹介者のいない始めての方のお座敷はお断りだそうです。
観光ボランティアガイド「まいどさん」も所属する金沢市観光協会では下記の企画を実施していますのでまでお問い合わせ下さい。
平成27年度 金沢芸妓の
ほんものの芸にふれる旅
●平成27年6月~平成28年3月まで開催
各土曜日 午後1時~お昼の1時間程度
●会場/にし茶屋街・ひがし茶屋街・主計町の茶屋街の各お茶屋
●参加費/お一人様3,000円
【お茶とお茶菓子付き】
◎芸妓による踊り、芸の説明
◎お座敷太鼓、お座敷遊びの披露
◎参加者との交流
◎お茶と上生菓子でのおもてなし
●定員/各回ひとつのお茶屋街の2カ所で開催(合計定員30名)
≪秋から冬、にし茶屋街は西泉家≫
9月12日 11月14日 2月6日です。
★事前の申込みで定員になり次第締め切ります。
ご予約・お問い合せは
(一社)金沢市観光協会
TEL076-232-5555
電話受付時間/平日9時~17時30分