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島田清次郎①生い立ち

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【野町2丁目】
最近では、金沢でも島田清次郎を知らない人も多くなりましたが、昭和32年(1957)に島田清次郎原作の「地上」が映画化され、当時の人気スター野添ひとみや川口浩がロケ隊と共に金沢に一時滞在し、金沢では長期ロケなど初めてのことで、その動向が逐次地元の新聞が煽るものですから、いやでも耳に入り、名前が一人歩きし、当時、にわかに有名になります。そして金沢では映画「地上」は大ヒットします。



(にし茶屋街の島田清次郎の文学碑)

(西茶屋資料館のパネルより)


(昭和37年(1962)、明日7月12日最終回のTBS系テレビで人気の「天皇の料理番」の原作者杉森久英氏が島田清次郎の伝記小説「天才と狂人の間」で直木賞を受賞し、地元金沢の人々に島田清次郎という名前が定着します。出身地美川町では島清恋愛文学賞が平成6年(1994)に制定され、平成8年(1996)から西茶屋資料館の一階に1部資料が展示されています。島清恋愛文学賞は、合併で白山市の運営になりますが、平成23年(2011)、廃止になり、民間団体の運営で平成25年(2013)再開され、現在は、地元の金沢学院大学に運営が引き継がれ、平成27年(2015)まで21回を重ねています。)


島田清次郎は、明治32年(1899)2月26日、石川郡美川(現白山市)に生まれ、父常吉は回漕業を営んでいましたが、清次郎が生まれた翌年に死にます。母みつは、持ち船を処分し宿屋を始めますが失敗し実家の身を寄せ、前回も書きましたが、清次郎がものごころついたときには、母子でにしの吉米楼の土蔵の2階に住んでいます。


(西茶屋資料館のパネルより)

野町小学校での清次郎は、成績抜群、キビキビしていて声にも張りがあり、級長としてクラスをリードするなど教師の中には神童と呼ぶものもいたといいます。明治44年(1911)金沢二中に進学する頃から吉米楼は傾きはじめ、当時、金沢出身の東京で成功した英才教育に熱心な実業家が清次郎のことを伝え聞き、引き取って世話をしたいと言ってきます。母子は上京し、清次郎は明治学院普通部2年に転入しました。



(西茶屋資料館のパネルより)


明治学院での清次郎は、弁論大会で一等になるなど、頭角を顕します。一緒に上京した母みつは、その家の女中頭として迎えられますが、田舎者のみつには、荷が重かったのか、女中頭を三ヶ月でやめ、浅草の鼻緒職人に再婚します。清次郎はそれを実業家の冷遇と誤解し怒り、主人と激突し家を飛び出し明治学院を退学し金沢に帰り金沢二中に再転入します。



金沢では、没落した吉米楼はすでになく、母の弟西野八次の許に身を寄せるが、八次は貧しかったため、清次郎を上級学校へ進学させる目当てがつかず、卒業してすぐに職につけるよう金沢商業に転校させます。



(西茶屋資料館のパネルより)


大正3年(1914)の秋、県視学も列席した金沢商業の弁論大会で、弁士に立った清次郎は、突然、演題の弁論をやめ土佐出身の官僚的な校長へ攻撃をはじめます。平素、職員生徒には教室、廊下で靴を脱がせるが、校長だけが土足で歩いていることを、壇上から校長の足許を指差し言葉鋭く糾弾したといいます。


(西茶屋資料館の島田清次郎の肖像)

日頃から校長の横暴に憤慨していた生徒の気持ちを代弁した清次郎の主張は、天性の雄弁も手伝い、生徒たちは熱狂し、全員が足を踏みならし会場は大混乱に陥り、校長の面目は丸潰れとなり、結果、長期停学をくらってしまいました。


(その頃、金沢では、室生犀星や尾山篤次郎が中央詩壇で頭角を現し、それに刺激され異様な文学的雰囲気がつくられ、金沢商業でも文学熱が盛り上がり、進学の望みを失った清次郎も文学仲間と交わり、文学や哲学に大きな夢を膨らませるようになっていたといいます。)



(室生犀星)


清次郎は、それらの活動から会合や交流に忙しく長期停学は彼にとって退屈も卑下もさせなかったといいます。しかし、当時の彼の日記によると「自分は天才と思わずにはいられない」と書きながら、反面「己は頭が痛くてならない、白痴にでもなるのではあるまいか?」と不安な気持ちが綴られていたといいます。


(祖父八郎がお琴の生ませた白痴の八五郎と叔父八次の家で同居し、その無残な姿をみるにつけ、祖父の血が自分にも受け継がれていはしないかと不安になり、その後も何度も血液検査を受けという、結果はいつも白であったといいます。)



(西茶屋資料館のパネルより)


大正4年(1915)3月末、清次郎は金沢商業を落第し、叔父八次の怒りをかいそのまま退学させられます。


(つづく)


参考文献:「文壇資料城下町金澤」磯村英樹著、昭和54年4月、株式会社講談社発行


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