【寺町5丁目(旧蛤坂町)】
今月はじめ校下の皆さんと、臨済宗妙心寺派大白山寶勝寺にお参りさせて頂きました。永年、三間道の少林寺のご住職が兼務されていたそうで、少林寺さんには何回も参詣させて頂き、愉しい法話や昔話をお聞きしましたが、寶勝寺は、今回が初めての参詣で、お聞きしますに、少林寺は、寶勝寺を創建した千岳宗仞(せんがくそうじん)禅師の隠居所として建てられたお寺だそうで、外から見ているだけでは本末も分からないことを改めて知った次第です。それにしても報告が遅れてすみません。
(高橋友峰住職の法話)
お寺の由緒については、下記のお寺に張り出されている解説書きに書かれていますが、千岳宗仞(せんがくそうじん)禅師は3代前田利常公から衰弱していた傳燈寺の復興を命じられたもので、他に能筆で文章力のも優れていたそうです。小松の梯天満宮の棟札を利常公より揮毫を命じられています。本堂、山門とも建物は、あの宝暦の大火にも災禍を逃れ創建時のものといわれています。
(解説)
(傳燈寺:利常公は、由緒ある傳燈寺の荒廃を殊の外憂い、再興にかかったが不幸にも普請半ばにして世を去りそのため再建はならなかったといいます。現在は再興され金沢市伝灯寺町にあります。)
現在の大白山寶勝寺は、平成23年(2011)6月より、福井の大安禅寺の住職高橋友峰住職が兼務なさっています。以来、住職は金沢市内にある妙心寺派寺院の3ヶ寺の住職を兼ね、福井と金沢だけでなく時には外国にまで活躍の場を広げられているそうです。今回は直接、住職の法話をお聞きすることが出来きました。軽妙洒脱というのはこの事を言うのだと感じ入りました。しかし、かなり捻っていて、私のような少し鈍くなった老人には、しばらく時間が必要なところもありましたが、総じて愉しい法話で、皆さんの笑みが絶えず、寄席に行っているような雰囲気でした。
(お寺の部屋)
また、部屋は門前の寺カフェーの看板通りで、各部屋に椅子とテーブルが配されていて喫茶室になっています。室内のしつらえは、アメリカで個展を開く程、能筆な高橋友峰住職の墨蹟や色紙、さらにはその書のTシャツや小物がところ狭しと溢れていまいした。
どれもセンスが良く、居心地も良さそうなので、そのまま皆でソファーの座り込みミーティングを始めました。それから、大白山寶勝寺のブログは、現在第700話以上になっていて、たぶん住職がお書きなっているのでしょう、内容は、私の下手なレポートなどは書くだけ無駄なような気がしてきました。
(能筆で文章力があったという千岳宗仞(せんがくそうじん)禅師は、たぶん高橋友峰住職のような方であったのでは・・・と。私は思い込んでしまいました・・・。)
(本堂の作品、販売もしてます。)
臨済宗妙心寺派大白山寶勝寺
http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=3&cad=rja&uact=8&ved=0CCwQFjACahUKEwijvPf8-OrGAhXFJKYKHWaNDo8&url=http%3A%2F%2Fhousyouji.jp%2Fcafe%2F&ei=SY-tVePzCMXJmAXmmrr4CA&usg=AFQjCNHHX7CDY_6p1s3oJm4GqMLniDoJhQ
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住職の受け売りです。
≪ちょっといい話≫
「禅寺とカフェ」一見ミスマッチのように思えがちですが、そら、いわば禅寺でお茶を振舞ったのは栄西禅師が元祖ということでしょうか。
少々お話が飛躍しそうになりましたが、
「お寺」という意味そのものもインドでは「ビハーラ」と言って「休憩する、憩い安らぐ場所」という意味ですから、全くに寺本来の姿こそ多くの市民の心安らぐ唯一の場所となることだと思われます。
寶勝寺も最近では、寺カフェのお客様とは別に、和尚を訪ねて来られる客人も増えてきました。その際もお茶を振舞いますが、どうやら「お茶を飲みながらの会話」は、より親しみを増していくようです。
お茶が取りもつ仏縁です。若者の寺離れが加速する現代社会に有って、今、卑山・寺カフェには多くの老若男女が集っています。「笑う門には福来る!怒る門にはホスピタル!涙の門には縁来る!」多くの方々との仏縁を結んでいく寶勝寺、いよいよその真価が問われそうです。友峰和尚より(2015-06-26のブログ)
(つづく)
参考資料:お寺のブログ「臨済宗妙心寺派大白山寶勝寺」など