【金沢→東京】
「沐猴(もっこう)にして冠す」といわれ傲慢を絵に描いたような島田清次郎が「地上」第一部が発行された年の大正8年(1919)9月に読売新聞に「地上」創作後の心境と今後の抱負について「希(ねがわ)くば予をして餓えしむなかれ」と題して、しおらしい一文を書いています。
(「沐猴にして冠す」とは、外見は立派だが、中身は愚かな者とあざけわらう・・・・。)
要約すると・・・
「自分は、もう4・5年沈黙していたかった。そして自身を養いたかったと・・・、自分には家も資産もなく、ただ有るのは燃ゆる大志のみで、自分には多少の創作の才能が恵まれていた一方、自分の境遇は窮乏に切羽詰って来ていて、自分は書いたものを早く金に換える必要があった。」と書き、早く世に出してくれた生田長江など発表の道を開いてくれことに感謝の意を述べています。
その文章では、はじめて世間に出て、思いがけない人気に驚いている20歳の初心な青年らしい思いと、内心では自分の基礎的な勉強不足を痛感している様子が書かれています。しかし、世間ではもはやこの「地上」の作者島田清次郎を捨てては置かなかったのです。
そして島田清次郎は、年内に「地上」の第二部を書き上げ、その他,雑誌社2社の新年号に創作を、さらに新聞雑誌にもちょっとした随筆や感想の原稿依頼を受け全部こなしています。それらは清次郎にとって、それほどの負担ではなかったといいます。
大正9年(1920)になると「地上」の第二部が飛ぶように売れ、第二部の評判を聞いて、それまで「地上」を読まなかった読者も改めて第一部を読みはじめようとする者もあり、出版元では第一部、第二部は足並みをそろえて売れていったそうです。
(当時の新聞雑誌・西茶屋資料館展示)
ただ文壇の批評は、清次郎に対してそれほど甘くなく、第一部については、無名の天才少年の出現ということに対する好奇心も手伝い比較的寛大だった批評家も第二部には首をかしげたといいます。
(西茶屋資料館)
第二部は当然第一部の続きであるべきですが、清次郎は3年前の「中外日報」に連載した「死を超ゆる」に手を入れたもので、いわば第一部より先に出来ていたのを、便宜的にくっけただけのもので、人数は少ないが「中外日報」で読んだ読者には、許せるはずもなく、「地上」の圧倒的な人気の陰に、作者の安易な態度に対する非難の声もあったといいます。
しかし、すでに悪評と敵意に取り巻かれている島田清次郎の本がドンドン売れていきます。大正9年(1920)の暮れに「地上」第三部は初版から1万部を捺印し、新年に入ると更に版を重ね1月には2万部に達し、それと同時に第一部も第二部も版を重ね、前年出版した感想集「早春」も数版を重ねています。
(当時、作家で文芸評論家の田中純は、“今日の文壇と出版界は何処か狂っているとしか思えない、吾々の尊敬している志賀直哉氏の珠玉の名品を集めた本が出版されても、売れ行きは知れたもので、かの島田清次郎とかいう自称天才のものが、10万も20万もの売れ行きを示すとは、何事ですか・・・”と言っています。)
その頃、島田は、発売元の新潮社を訪れ、居合わせた社長佐藤義亮が島田に謝意を述べると、島田は得意然として「いや、私も喜んでいます。それについて、どうしてこんなに売れるのかと私も不思議でしょうがありませんので、この間からいろいろ考えていたのですが・・・」と佐藤の方へ顔を寄せて、声をひそめて「政友党が買い占めをやっているのかも知れませんね」と言ったといいます。
今、日本で一番人気を集めているは、政友会総裁の原敬と、島田清次郎の2人だというのです。政友会では、これ以上島田清次郎に集ると、原敬の政治的地位が危うくなるので、原敬の地位を守るためには、国民に「地上」を読ませないに限る。それで買い占めているのが本当の理由でと、いかにも確信に満ちて断言する島田清次郎の態度に、社長佐藤義亮は返す言葉がなかったといいます。
このような島田清次郎の誇大な妄想癖は、少年の頃からの思い上がった振舞いや傲然とした態度の延長線上にあるものか、この発言は正気かどうか疑われても仕方がなく、だんだん常人から逸脱して、病人に近づいていくかのように思えたことでしょう。
(つづく)
参考資料:杉森久英著「天才と狂人の間」 石川近代文学館 平成7年15日発行・文壇資料「城下町金澤」磯村英樹著 講談社 昭和54年9月15日発行
島田清次郎の生涯
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