【金沢→東京→津々浦々】
「地上」はシリーズ4冊で累計50万部以上という、当時としては、すごい部数を売上げています。定価が1円20銭、今の金銭感覚からいうと、「地上」の4冊だけで18億円(当時の1円が約3,000円)ということになります。印税は第一部が契約に入っていないので省いても、他の原稿料なども含めると、わずか3年数ヶ月で、清次郎には一億円以上のお金が転がり込んできたことになります。
(あの夏目漱石でも死後、大正6年から12年にかけての売上部数がざっと54万部といいますから、清次郎はまさに大正時代のベストセラー作家といえます。)
ちなみに最近のベストセラー作家又吉直樹氏の「火花」は、この間の報道によると127万部、昭和では石原慎太郎氏の「太陽の季節」が100万部と聞きますから、それらには適いませんが、当時、中学への進学率が今の大学の進学率以下という時代で読者層も狭く、しかも定価1円20銭はかなりの高額。清次郎も、しばらく前まで七尾の鹿島郡役場に勤めたときの雇員月手当5円ということから見ても、いったい誰がこの本の購入者だったのか、そして、この本の何が、多くの人々を惹き付けたのか、そこが知りたくなりました。
第一部の「地上(地に潜むもの)」は、スタートから当代の各分野の有名人生田長江、堺利彦、徳富蘇峰、長谷川如是閑などが推奨し、普通の文壇小説と違い、彼らが属する社会主義者、社会評論家、政論家、思想家の範囲にまで広がり、作品は文壇の枠だけに留まらず、広く一般社会人の間にまで浸透することになり、人々は煽られ、文学などに興味を持たない人の間にも読まれたといわれています。果たしてそれだけなのでしょうか?
(毒舌的文章を書くことで知られている生田長江は、バルザックやドストエフスキーまで引き合いに出した誇大なほめ方に、清次郎の弱冠20歳という事実とあいまって、人々の注意を惹くには充分でした。また堺利彦は、ひとしきりほめた後、筆者は社会学的の観察と批判とにおいてすこぶる徹底していると、主に社会主義的の観点からこの作品の特徴を示しています。)
清次郎の文体は、もともと弁論爽やかだったこともあり、転校した明治学院でのキリスト教や松任の暁烏敏から学んだ仏教の影響から説教が入り混じった詠嘆調で説得力があったといわれています。また、当時のベストセラーの倉田百三の「出家とその弟子」や賀川豊彦の自伝的小説「死線を越えて」と宗教的に共通することからも時代的背景が影響しているのでしょうか?
(反面、文壇に受け入れなかったのには、島田清次郎の人を人と思わぬ傲慢さが好かれない原因でしょうが、その通俗説教臭い宗教的雰囲気のせいでもあったのでしょう~か。)
また「地上」は、当時の青年の間に圧倒的に人気だったといわれる所以は、清次郎の分身である大河平一郎の物語ですが、そのヒロイズムは、幼稚で、空威張りだらけ、しかし、当時の日本の文壇作家の主人公は“すね者根性”や“日陰者根性”で、多くの人々は、飽き足らなかったということなのか、当時の若者にとっては、むしろその自画像的でポジティブな気持ちが、身近なものとして伝わっていたのでしょうか?
読者は、主人公の「この世界は自分の思いのままと信じる気持ち」「若さのもつ特権」に共感したのでしょうか、そして没落した家の貧乏な主人公と良い家の美しいお嬢様との純愛、そして「貧乏な暮らしに負けずに、偉くなってやる」といった向上心や「無理解な世間を見返してやる」といった闘争心、そしてポジティブ・シンキングが、若者に勇気を与えたのでしょうか?
また、「地上」を通し、多くの高等女学校出や生徒が自分の知らない世界に飛びついたのだという伝説があります。当時の高等女学校の進学率は大正初め約5%、大正末には約15%へ、明治以来の良妻賢母主義は、大正初めから婦人問題が社会の注目をひき、第一次世界大戦のおかげで、日本の景気はウナギ登り、それに伴い労働者や女性の権利主張が強まって来きます。また、お見合いが大半の時代に少年少女の恋愛や誰も知らない悲惨な花街の様子が10代の少年の目を通して克明に描かれていることもベストセラーへ押し上げた理由のように思われますが?
≪「地上」第一部(地に潜むもの)≫
青空文庫より
・・・・・・・此家ここへ来てからまだ五月とたたないのであったが、誘惑されて来たらしい色の黒い田舎娘を坐らせて置いて、
「九十六カ月の年期で五百円より出せぬ」
「いや、これで玉は上玉だあね、八百円出しても損はしない」
「――冗談でしょう。こんな代物に八百円出せとはそれあ無理でさあね」
「それじゃ七百七十円まで負けましょうや」
「どうして! 五百円が精いっぱいでさあね。お前さんだってそう骨折って育てた子供という訳じゃありますまいし、なんだね、思い切りの悪い。さんざ初物の御馳走を吸いつくしたかすをなげ出すからってさ!」
「御冗談でしょう。それじゃまあ六百円――」
「ええ、しかたがありませんや、もう五十両で手を打ちましょうや」
こうして一人の女の五百五十円で売られてゆくような事実を幾度となく見せつけられている彼女は、またそうした話であろうと胸を痛めつつ聞かないようにしていた。
(九十六ヶ月は8年、五百円は今の約150万円か)
・・・・・・・・また自然の苛酷な皮肉から、主の知れない呪われた子を生み下すとき、その不幸な子供を若干の金で貰い受けて、そしてじり/\餓え死にさせるようなこともするらしかった。大抵の嬰児は結核か梅毒で死んでしまった。死なねば、乳もやらずに放って置けば消えるように萎びて死んでしまった。――お光が聞くまいと努めても話し声は聞えて来た。それは自分の無力を自覚している彼女にとって、どうかしてやりたいという同情がおきるだけ、それだけ辛いことであった。
等々
参考資料:島田清次郎著「地上(地に潜むもの)青空文庫・杉森久英著「天才と狂人の間」 石川近代文学館 平成7年15日発行・文壇資料「城下町金澤」磯村英樹著 講談社 昭和54年9月15日発行