【金沢・兼六園】
芥川龍之介が金沢に滞在中、犀星も所属していた俳句結社北聲会のみなさんとの交流はよく知られています。その時の作品は、俳句「簀むし子や雨にもねまる蝸牛」「乳垂るる妻となりつも草の餅」の2句。そして、一枚の紙に鉛筆書きで、兼六園の「虫」や翠滝の「落し水」が題材の7句が、それから、あの金沢弁で詠んだ短歌4首「金沢にて」が残されています。
≪芥川の金沢弁の短歌4首≫
”はやうらと よながを食うて けふもまた おいその山を 見ている我“
はやうらと(早く)よなが(夕食)おいそ(遠く)
“むさんこに あせない旅の しょうむなさは だら山中の 湯にもはひらず”
むさんこ(むやみに)あせない(せわしない)しょむない(味気ない)だら(馬鹿)
“ひがやすな 男ひとり来 五日あまり へいろくばかり 云ひて去りけり”
ひがやすな(やせた)へいろく(いいかげんな)
“かんすいな せどの山吹 すぃよりと いちくれ雨に そめにけり”
かんすいな(閑静な)すぃよりと(ほっそりと)いちくれ(日暮れ)
現在、金沢でも使われなくなったのか、これが金沢弁かと首を傾げる言葉もありますが、芥川4泊5日・・・、さすが文豪、聞いただけで頭に入るのかもしれませんが、よくもまあ~、サービス精神なのか、お勉強なさったな~と感心させたれます。
(金沢弁を使ったのは、嘲笑、地方蔑視?はたまた単純な面白がり?であったのかはよくわかりませんが、今になって思えば、当時の標準語重視に対するアンチともとれます。ほんまに、あんやと存じみした。)
それから「むさんこに あせない旅の しょむなさは だら山中の湯にもはひらず」というのは、あの「だら」が付くほど有名な山中の湯に入りたかったのに、せわしなく、味気ない旅に対する気持ちが短歌に出たように思へてきます。
(「だら山中の湯」とは、山中温泉が昔「低温の湯だけで風呂にしていたので体が温まらず長く湯に入っていなければならなかった」ことから、つかりすぎて「だら(馬鹿)」みたいといったことを芥川は知っていたのでしょう。)
≪犀星と龍之介≫
犀星と龍之介は、お互いに東京・田端文士村の住人で交友もあり、龍之介は、震災後金沢に移住していた犀星と約束していた金沢行きを果たします。龍之介は犀星の3歳年下で、犀星によれば「短冊を書かしたら僕よりもうまく書くので、芥川はそれを気の毒がっていた・・・」といい、龍之介の博識と都会的で洗練され洒脱で、しかも格調高く優雅であることに惹かれ、年下でも犀星の方で一目置いていたのでしょう。
(龍之介)
芥川は、犀星はすべてを独学で学び、しかも粘り強い北陸の田舎者ではあるが、しなやかで、その行動のすべては、自らの意志に従うという野生人であることに羨望を感じたのでしょうか・・・。
(余談:犀星は、芥川の金沢行きの費用を雨宝院の仏書や骨董を持ち出して売り工面したといわれ、すぐに露見して、いたたまれなくなり東京に逃げ帰ったといわれています。)
参考文献:芥川龍之介の短歌4首「金沢にて」・文壇資料「城下町金澤」磯村英樹著 講談社 昭和54年9月15日発行ほか