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Channel: 市民が見つける金沢再発見
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九峰事件③餓鬼・畜生・修羅・・・。

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前回まで。天苗が居なくなると、九峰は、だれ憚ることもなく、指導者であることを忘れたのか、来世の地獄も何処やら、この世は天国。乳くりあったり、たがいの二の腕をつめりつめられ、浅ましくも享楽の夢にどっぷり浸っていました・・・。


(竪町の田辺の後家(長操院)は犀川を渡り隠居寮へ・・・・今の犀川)


【寺町台】
香林寺を出奔した天苗は、知り合いを頼りひとまず京に上ります。しかし、先立つものは金。「身過ぎ世過ぎのことは、私が工面してやろう」と言った九峰からは何のさたもなく、しびれを切らして催促状を送ってもなしのつぶて、思いあまって、密かに金沢の知り合いに聞きただします。




知り合いの知らせでは、九峰と長操院は我が世の春と何処吹く風、しかも香林寺の住職が九峰の愛弟子が継いだことを知ると、頭に血が上り烈火のごとく怒りが込み上げてきます。そうなるとじっとしておれず、密かに金沢へ舞い戻り、2人の後をつけねらい報復の機会を窺います






文化11年(1814)9月15日の夜、田辺家の年をとった下男がいつものように、長操院を九峰の寮に送った帰り道、待ち伏せていた天苗が多少の金とドスを効かせて下男を脅し、丸め込み案内役として下男を寮へ引き返えさせ、言い付けたとおり、「急用ですから」と、長操院に目通りを告げさせます。何時もの聞きなれた下男の声に、何の懸念もなく、田辺の後家(長操院)はしどけない姿で現われます。




(隠居寮はこの上辺り・犀川より寺町台を望む)


袖の陰で、身を潜ませていた天苗は、飛ぶ鳥の如く踊りでて、アッという間に、膝を捕まえてそのまま九峰の寝間へ引っ張り込みました。降って沸いたようなチン入者に、唖然として言葉も出ない九峰の前に天苗がどっかとあぐらを掻き、違約の不信を言いたてるとともに、嫉妬と怨恨をぶちまけます。




天苗の啖呵は、「女はきれいさっぱり譲ってやるが、その慰謝料三百両、さっぱり渡せと凄み、さもなくば、気の毒ながら、修羅の地獄やと思え脅します。この談判中、急を聞きつけた天苗の法兄桂岩寺の天麟和尚が駆けつけます。


(当時の一両は今の約10万円)

文化文政の1両は、単純計算ですが1両10万円とすれば、3百両は約3千万円・・・。




天麟和尚は、法兄であると同時に、坊主仲間から豪傑と呼ばれていただけに、無頼の天苗も天麟の前では何時も頭が上がらなかったらしく、この和尚の仲裁で、どのように話がついたのか分からないが、一旦その場を収め別れることのなり、天麟が長操院を背負って上から大風呂敷をかぶせ、夜明け前ひそかに竪町の田辺の屋敷へ送り返します。



(桂岩寺歴代の住職のお墓)

この事件は、天苗の逮捕で一件落着の筈が、加賀藩の歴史にその名を刻む大変の大事件に発展していきます。当初、寺社奉行では、取調べるとともに累が上下に及ぶことを恐れ、天苗を発狂者にして、せいぜい穏便におさめようとしますが、天苗がもうだめだ!!と覚悟をしたことから、その一切を包み隠さず白状しただけでなく、直接事件とは関係のない坊主どもの女犯破戒の始末まで、ことごとく暴露しました。


(つづく)


参考史料:前田育徳会編「加賀藩資料」全18冊、第12編・日置 謙編「加能郷土辞彙」北國新聞社・森田柿園著「金沢古蹟志」・八田健一著「世相史話・九峰事件」石川県図書館協会発行など


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