【野々市市本町】
先日、公民館の行事で、野々市市の喜多家に行きました。炉中の灰に円形、縄目、波紋の筋目が美しく描かれた囲炉裏(いろり)を見て、若い頃、銀行のカレンダーだったかポスターで見たのを思い出しました。当時は、写真でしか見ていなかったのですが、こんな素敵で、しかも完成度の高い意匠を毎日施す方はどんな方なのだろうと思ったものです。
その頃、私はデザインの仕事をしていたので、いつか見に行こうと思っていましたが、すっかり忘れて50年。いつの間にか無くなったと思い忘れていた物が、突然、出て来たようなそんな感動を覚えました。
(店頭)
触って見たい!!そんな衝動に駆られていると、見透かされたように、ご主人から崩れたら母?しか直せないので、触らないようにと促され、今にも出そうだった手を引っ込めましたが、この完成度の高い意匠や技術は、誰でもすぐに身のつくものではなく、茶道の灰手前や盆石の心得など高い教養に裏づけられるもので、旧家ならではの“おもてなしの心とカタチ”なのでしょう。
(立涌と天井の梁)
もう一つ素敵な意匠で目を奪われたものに、この頃、とんと見なくなったロングの加賀暖簾です。模様は「立涌(たてわく)」ですが、「立?」しか出なくて同行した女性の方に教えて頂きましたが、丈の長い暖簾に何本かの縦に向き合った曲線が並び、間の空間が広くなったり狭くなっている模様で、調べてみると古来より吉祥の印として貴族や公家の調度品などに用いた模様のようで有職文様というのだそうです。
(有職文様とは、唐風文化が奈良時代に移入され、やがて平安時代に和風文化の隆盛で、唐風を単純化したものが和風文様の特徴だといわれていますが、時代と共に家々が、それぞれ特有の文様を用いるようになったそうです。立涌、丸文、菱文、亀甲・・・等々)
(1階の平面図・茶室や北陸独特の土縁が見える)
聞いた話しですが、喜多家の「立涌」の加賀暖簾は、3種類あるらしく、藍色で白抜き模様は同じですが、夏用、冬用、秋冬用があり、実際には見てないのでよく分かりませんが、季節感を藍色の濃淡で表しているのでしょう。
私の“お気に入り“だけになりましたが、詳しくは、喜多家で頂いたパンフレットの文章と平面図を引用させて頂きました。
(2階の仏間の襖)
喜多家は、元禄の頃から野々市の種油屋で、幕末頃より造り酒屋になりますが、明治24年(1891)4月の大火で焼失します。今の建物は、金沢の下材木町の醤油・質屋だった田井屋宗兵衛の母屋を譲りうけたもので、同年11月に移築したそうで、母屋は文政期~天保期に建てられたものといわれています。また、同じく国の重要文化財指定の道具蔵は、移築ではなく焼け残った蔵だそうです。
喜多家
昭和46年12月28日、母屋と道具蔵が、国の重要文化財に指定されました。
(通りに面した間口7間半の大型町家)
参考文献:「加賀能登の家」田中喜男編(株)北国出版社、昭和50年10月1日発行・野々市市デジタル資料館・国指定文化財「喜多家住宅」野々市市教育委員会文化振興課など