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黒部②町歩き、漁港と魚の駅

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【黒部生地】
黒部川に開けた生地の町は、大昔は新治村と呼ばれたところで、集落の中に大きな湖が広がっていたそうです。その天然の漁港でもあった湖は、今から688年前の嘉暦2年(1327)に大洪水により泥土に埋まり、集落もろとも海中に沈んでしまったといいます。やがて人口湖が造られ今に至ったという古い歴史がある町で、今も伝説や旧跡が多く残っていて興味がそそられます。






(黒部漁港)

町歩きは、漁港沿いからスタートしました。歩き出すと直ぐに頂に冠雪の白馬岳や鑓ヶ岳に目が奪われますが、港に繋がられた白い漁船が珍しく見とれてしまいグループに追いて行かれ、後から来たグループに同行させて頂きました。



(漁港の漁船)


不思議な可動式の橋に遭遇します。渡った時は普通の橋でガイドさんの説明も上の空でしたが、帰りには、横に旋回している橋を目の当たりにして、いい歳をして興奮気味、動画を撮るのをすっかり忘れて、シャッターを押しまくっていました。



(生地中橋)


≪生地中橋≫
この橋は、全国的にも珍しい旋回可動橋です。漁船が通るときに橋体が持ち上がって片持ちで回転するさまは、漁師町ならではの風景です。生地の漁港はかつて河口港でしたが、昭和30年代から50年代にかけて掘り込み式港湾に整備され、昇降式だった中橋も、漁船の大型化に対応するため、昭和57年(1982)に日本初の旋回可動式(ダ・ビィンチが考案したという)に架け替えられたものです。



(中橋が旋回して船が通過している)


日本海が見える海岸では、ペイントで「たいまつ」のデザインが施された生地防波堤灯台が見え、その向こうに墨絵のような立山連峰が、右手に広がる海岸では、能登半島が見え、夕日が美しいといわれていて「富山湾が一番美しく見える街生地」と書かれた碑がありました。運しだいですが、蜃気楼が見えるとか・・・だそうです。






(生地浜海岸)

≪火除宮(火の宮)≫
生地の町は昔から火事が多く、防火意識を高める意味を込めて、火の宮が町の各所に造られたそうで、海岸から小路を入つと、道にはみ出して火除宮がありました。今は他に3ヶ所現存しているそうですが、年に1~2回、火祭りが各町内で行われているそうです。


(火除宮)

≪伝七マの地蔵尊(海からあがった地蔵尊)≫
昔、伝七マという屋号のおやじが、ある日漁に出ると、石の地蔵がかかり拾いあげて家に持ち帰ったとか、最初、石の地蔵は軽石のように軽く、一夜明けてから近くのお寺戒光院に運ぼうと、背中にしょって向かいましたが、地蔵は戒光院の前に来ると急にずっしりと重くなり、その場所に降ろしそのまま安置されたという伝説の地蔵さんがありました。



(伝七マの地蔵尊)


≪新冶神社・新冶公園≫

天智天皇の時代、今から700年以前の創建でだそうです。8月のは放生祭りがあり、湧水池の見嶋の池で稚鯉などを放ち、魚族の繁殖を祈願するそうです。


(新冶神社)


≪生地の魚の駅≫
魚の駅は、黒部のおいしい魚を存分に楽しめます。鮮魚や加工品を販売する「とれたて館」と、干物を自分で焼いて食べるレストラン棟「できたて館」が並んで建っていました。「とれたて館」では漁港であがった新鮮な魚や黒部の名産品・水産加工品、おみやげマリングッズを販売されていて、お土産を漁りました。



(とれとれ館)




(ほんの一例)

「できたて館」ではお寿司や自分で魚や浜の伝統料理を焼いて食べられる浜焼きも楽しめるそうですが、見るだけにしました。もう一つ向かいに生地のお土産の定番「四十物昆布」のお店を覗き帰途につきました。



(町歩きで見かけました。)


(つづく)


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