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金沢工芸オークション、古田航也氏の自在置物

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【金沢・旧観音町】
先日、金沢で初めて、金沢21世紀美術館で若手の工芸と平面作品のオークションが開催されました。詳しくは何れ書こうと思っていますが、今回は出品作家古田航也氏の自在置物について、金沢とは縁が深い技術、鎚金細工(ついきんさいく)だということから、今回、その事について、少し触れることにします。



(金沢21世紀美術館)


古田航也氏は昨年金沢美大の大学院を修了し、現在、旧観音町の町家「カフェ三味」の奥の蔵に工房を開き製作なさっていますが、オークションの出品作は「LIFE-アカメアマガエル-」と称する自在置物で、アマガエルのミドリ色には銅の錆を生かし、赤い目は何で作られているのか分かりませんが、異様な左前足は真鍮の細工で、その存在感は他の作品を睥睨(へいげい)していました。



(古田航也氏のパンフレット)


(航也氏の自在置物は、人間が奪ったしまった自然の中で、共生!!をテーマに、今も耳を澄ませば聞こえてくる、動物たちの息づかいを作品に込めて作っているそうです。みんな共に生きている、そんな想いを伝えたいのだそうです。)



(古田航也氏の「LIFE-アカメアマガエル-」)



自在置物については、今年5月に関西在住で金沢出身の旧知が親戚の話として、金沢所縁の鎚金細工師冨木家の資料が送られてきました。目を通すと、古田航也の作品に共通するものと縁も感じ、資料を深読みすると同時に古田航也氏のパンフレットやPCを覗いて見ました。オークション会場でもご本人に資料を届けることも約束しました。まだ訪問していませんが、今月中には思っております。


(作品ですが、技術的なことは分かりませんが、私なりに両者を比較すると、古田航也氏の作品はナウな時代感覚やテーマや題材など、昔の作品との違いが感じられ好感を持ちました。)

(送られて来た資料)

送られてきた資料にある作品群の中には、江戸時代中期に製作されたものもあり、昔のものは東京国立博物館にあるそうです。製作者は、あの甲冑師の一派で明珍姓の作で、その後に出来たものに明珍姓のものが多く、たとえ同姓でも、どこの国か、どの系統に属するかは、あまり明らかでなくて、越前福井、土佐高知がよくしられているそうですが、明治のなると、加賀大聖寺の山田宗光(山田宗実の父)も明珍姓を名乗っていたりします。



(金沢21世紀美術館のオークションのポスター)


明治になり、明珍姓以外、冨木姓のものが多くなり、もつとも作品が多く残っているのが、好山銘で、高橋虎吉「好山」といい明治2年金沢の桜木八ノ小路生まれで、明治16年神戸の輸出品製造陶器部に勤め明治20年に京都支店の工場金工部に移り、ここで金工を2代冨木伊助「宗頼」に学び、明治26年に独立し、金工品を中心に国内・外に販売を行ったといいます。



(金沢アートグミの作品展示)


明治43年9月には、皇太子(大正天皇)陛下が京都商工陳列所へ行啓、自在置物の昆虫数個をお買い上げになられたそうです。以来京都の工芸品の産業振興に努め、昭和9年12月のお亡くなりになるまで、好山銘の作品は鯱、伊勢海老、鯉、昆虫が多数有りますが、これら好山銘は、今で言うブランドで、好山自身は製作しなくて、いわゆるプロデューサーで、販売経営を行っていたようです。


(当時の自在置物工房の体制は、今の工芸工房とは違いは、血縁経営で、作ることもさることながら、売ることに重点が置かれ、高橋虎吉「好山」というプロデューサー兼販売と経営のプロがいて、自在置物を売りまくっていとことが窺えます。)


(カフェ三味の裏の蔵が古田氏の工房)

実際に作っていたのは、前出の2代冨木伊助「宗頼」で、天保6年(1835)3月、初代伊助「宗一」の子として金沢野田寺1丁目に生れで、左官から金工に転じ、京都に出て名を成した名工で、その子冨木次三郎「宗信」は、32歳の若さで亡くなりが、大英博物館に「宗信」の銘のカマキリがあり、その子冨木助次「宗好」。当代は昭和10年生まれの冨木章「宗行」に繋がっているそうです。因みに、高橋虎吉「好山」は、2代冨木伊助「宗頼」の娘婿で、私の知人の叔父田中唯吉「宗義」は冨木助次「宗好」の義兄だそうです。


参考文献:MUSEUM東京国立博物館美術誌№507・6月号など


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