【金沢駅→旧横安江町→尾張町→橋場町→十間町→玉川町→金沢駅】
金沢駅から橋場町経由で約2時間。金沢の藩政期や明治・大正・昭和・平成の建築物を巡るコースです。このコースは建物を見るだけでなく、その背景や周辺の環境、建てた当時の逸話などを話しながら巡ります。少し盛り沢山な散策コースで、時には1~2ヶ所を省きますが、それでもお客様(参加者)が多いと時間が足りなくなるくらい、建築好きの方には興味が沸くコースのようです。
(コース:金沢駅→西別院→東別院→北国銀行武蔵ヶ辻支店→旧博労町の壽屋→町民文化館→石黒薬舗→三田商店→金沢文芸館→旧村松商店→(中島商店→谷庄)→旧繊維会館→玉川図書館(近世史料館)→専光寺→白髭神社→金沢駅)
≪金沢駅もてなしドーム≫
金沢駅の東口(兼六園口)に平成17年(2005)3月に完成した”もてなしドーム”は、大きな傘をイメージしたもので、雨や雪の多い金沢を訪れる人々に“そっと傘を差し出す金沢人の「やさしさ」と「もてなしの心」を表現したもので、屋根と外壁は3,019枚の網入り強化ガラスと6000本のアルミ合金のフレームで作られ、1,8mの積雪と震度7の地震と風速60mの台風に耐えられるそうです。
(もてなしドーム)
もてなしドームの工事期間7年間だそうですが、地下も含め総工費172億円。その内、巨大なドームは42億円、そして鼓門だけでも3億5千万円の建設費がかかり、全額金沢市が負担だそうです。完成当時には、デザインや総工費について市民の間で賛否両論、意見が分かれるところだったのですが、なんと国内だけでなく海外でも評価が高く、平成23年(2011)にはアメリカの旅行雑誌「トラベル&レジャー」のWeb版で、世界で最も美しい駅14選の6位に選出されてからは、否定論はなりを潜めています。
建築費3億5千万円の鼓門は、高さ13.7mの太い2本の柱に支えられた門で、能楽の加賀宝生の鼓を模したものだそうです。構造材は米松の集成材で、らせん状に組み上げられた柱と、ゆるくカーブを描く風格のある面格子の美しい屋根は素晴らしく、鼓門と”もてなしドーム”が一体となった風景は金沢の新名称になっています。
(鼓門の2本の柱の内部には送水管になっていて、屋根に降り注いだ雨水は、この2本の柱の内にある送水管に流れ、貯水槽に送られています。)
古地図の中に金沢駅前
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11997660718.html
参考ブログ:市民が見つける金沢再発見
金沢西別院と金沢東別院①2つに割れた真宗のお話
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-10641760418.html
参考ブログ:市民が見つける金沢再発見
(北國銀行武蔵ヶ辻支店・金沢アートグミ)
≪北国銀行武蔵ヶ辻支店≫
旧加能合同銀行の本店で、現在は合併の伴い北國銀行武蔵ヶ辻支店になっています。正面にある、3つの独特の形状のアーチ形は船の舳先がモチーフだそうです。また、アーチの内部に見える格子状の柵も非常に変わった形をしていて、装飾の細かさに目が引かれます。曳き家で移動した建物ですが、昔、2階が吹き抜けで周りだけが床だったのを、移動の際に全面床にして2階にしています。3階の室内は、天井や床、そして金庫の一部など建設当時の意匠がかなり残され、現在はギャラリーで、アートの認定NPO法人金沢アートグミが運営しています。
設計:村野藤吾(村野建築事務所)
施工:大林組
竣工:昭和7年(1932)
≪壽屋≫
尾張町壽屋は、築160年の金沢市指定保存建造物です。藩政期の町家を土台に、明治の中頃に呉服商が店舗として使われましたが、大正期に料理屋として創業。以来、精進料理や加賀料理で知られる金沢の老舗料亭です。
(壽屋の店頭)
明治期に、当時の建物を所有していた呉服屋さんが、内装をりっぱな書院造りにしますが、”金沢町家”の外観はそのままに残したため、大変珍しく、あまり類のない建物になっています。今もお店の象徴である大きな暖簾をくぐれとタイムスリップしたかのような空間が広がり、日本庭園を眺める江戸の間、加賀群青の壁が高貴な雰囲気をかもしだす明治の間、本格茶室の大正の間、60畳の昭和の間、蔵を改築した平成の間とそれぞれに趣が目の楽しませてくれます。
(平成6年に再生工事を実施し、金沢町家の特徴である「さがり」や、庭に面した「こけら葺き」も復元したそうです。)
尾張町⑥疑和風?町民文化館
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-10813852895.html
参考ブログ:市民が見つける金沢再発見
(石黒傳六商店)
尾張町⑤藩政期からの福久屋石黒傳六商店
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-10807590536.html
参考ブログ:市民が見つける金沢再発見
≪旧三田商店≫
旧三田商店は、藩政期三口屋という唐物屋で、維新後当時最先端の洋服や洋酒などを扱う三田洋物店と改め流行の先取りで繁盛し、後に三田洋品店と改名します。昭和5年(1930)には東京帝国劇場を参考に大林組がたった2ヶ月で建設したビルが金沢人の注目を集めたといいます。建物の特徴はファサードを構成する玄関周りの石張部分やタイル張りの壁面、窓や入口上部の垂直線を強調したレリーフパネル、ステンドグラスと時代を先取りしたモダン建築ですが、玄関前にハイカラな30cm余りの丸い石柱があり、聞けば、冬場に下駄の雪落しのための「がっぱ石」だそうです。今は下駄を履かないので分からなかったけれど、モダンな造りながら雪国のお客様への配慮が窺えます。
(つづく)