【金沢駅→旧横安江町→尾張町→橋場町→十間町→玉川町→金沢駅】
前回に引き続き、金沢アーキテクチャー・ツーリズム②近世・近代・現代です。今回は橋場町の“金沢文芸館”から金沢城の石垣下、城下町金沢では珍しく整然とした町割りが今も残る旧今町の旧村松商店、旧中町を横切り、旧博労町の町家、旧西町の西町教育研修館(旧石川県繊維会館)を巡り玉川町の玉川図書館と近世史料館、そして芳斉(斎)町を歩き本町の専光寺、白髭神社から金沢駅へ向かいます。
(旧今町から西町までは、点在する町家や旧中町では大手門(尾坂門)跡を旧西町では、西丁門跡や算用場跡、尾崎神社を眺めながら巡ります。時間があれば、十間町へ出て、中島商店など昭和のモダン建築や改修した大きな町家の見ることも出来ます。)
昭和のモダン建築・・・
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-10750410387.html
参考ブログ:市民が見つける金沢再発見
≪金沢文芸館≫
金沢文芸館は、橋場交差点にあり界隈のランドマーク的存在として古くから市民に親しまれてきた旧石川銀行橋場支店を「金沢文芸館」として改修整備したものです。地元文学・文芸の活動拠点として、外部は既存のイメージをそのまま残し、内部は1階に既存カウンターの活用など出来る限りもとの趣を活かした空間に「交流サロン」を、2階は展示中心の空間で「金沢五木寛之文庫」を、3階は講座室や泉鏡花文学賞コーナーが設置されています。
(改修整備は、平成17年(2005)当時、国道159線の面していることから国土交通省の道路以外の「まちづくり交付金事業」として、道路特定財源が使われたことから話題になりました。)
(金沢文芸館)
建物は、昭和4年(1929)に旧高岡銀行橋場支店として建てられたもので、その後、銀行合併により北陸銀行橋場支店に、昭和27年(1952)に旧加州相互銀行浅野川支店、昭和64年(1989)に旧石川銀行橋場支店となりますが、平成14年(2002)の石川銀行の破綻によって閉鎖され、その後、平成17年(2005)から、金沢市が「金沢文芸館」として活用されました。
(平成5年(1993)「金沢指定保存建造物」指定され、平成16年(2004)には「国登録有形文化財」登録されています。)
≪旧村松商店≫
村松商店は、宝永7年(1710)に創業した村松屋で、藩政期は「江戸三度飛脚」といって金沢~江戸間の書状逓送をする頭取を勤めます。維新後は、旗の製造販売や糸商として商いを伸ばし、昭和3年(1928)旧下今町に自社ビルを建設します。施工は清水建設で、屋上の縁取りタイル内部に電球を埋め込みイルミネーションとして、金沢の夜を彩り話題になったといいます。平成22年(2010)ハイカラビルヂングとしてリニューアルします。
“江戸三度飛脚”尾張町の村松家
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-10967322957.html
参考ブログ:市民が見つける金沢再発見
≪西町教育研修館(旧石川県繊維会館)≫
西町教育研修館は旧石川県繊維会館で、昭和27年(1952)当時、金沢には見たこともない斬新な建物でした。設計は、金沢出身の谷口吉郎氏で、氏は「藤村記念堂」や「東宮御所」、「東京国立博物館東洋館」などを手がけた有名な建築家で文化勲章受章された方です。
金沢・西町の大切な3つの建造物
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11926740940.html
参考ブログ:市民が見つける金沢再発見
≪玉川図書館・近世史料館≫
玉川図書館本館は昭和53年(1978)の竣工で、設計は谷口・五井設計共同体で、谷口吉郎氏が総合監修、その息子の谷口吉生氏が設計を担当しています。旧専売公社金沢工場の建物に現代建築を融合させた建物が特色で、別館として近世史料館を併設されています。谷口吉郎・吉生父子の共同作品はこの建物が最初で最後です。
(近世史料館)
(近世史料館(旧専売公社工場の一部)は、旧石川県庁舎や国会議事堂などを手掛けた矢橋賢吉の設計で、平成8年(1996)に登録有形文化財に登録されました。)
(境内には、10月末から3月まで“十月桜”が咲き門前を通る人も、可憐な桜につられ、境内に吸い込まれます。チラリ、ホラリ、静かな花に安らぎと目も楽しませてくれます。)
金沢アーキテクチャー・ツーリズム①谷口建築めぐり
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-12099515050.html
参考ブログ:市民が見つける金沢再発見
≪専光寺≫
本町の通称吉藤専光寺は、明治期までは中本山的寺院でした。本願寺第三世覚如上人の弟子志念が開基で元応2(1320)に石川郡大糠(おおぬか)に創建したと伝えられています。蓮如上人以前、加賀において、屈指の末寺として扱われていたそうです。慶長元年(1596)、前田2代利長公に金沢後町に寺地を与えられ、その後若干の変転のあと、前田3代利常公から現在の寺地に替えられて現在に至っています。
(専光寺)
≪白髭神社≫
白髭神社は、真言宗江林山持明院の別当として蓮寺で有名な持明院内に居住したため、白髭持明院とも呼ばれていたといいます。永長年間(1096~7)の建立といわれ、一時中絶しますが寛永年間(1624~1645)に復興したといいます。白髭神社は、明治2年(1969)社地と寺地を分け、明治5年(1872)11月村社に列格されます。持明院は昭和46年(1971)神宮寺町に移り、白髭神社も昭和49年(1974)12月、都市計画で現在地に移りました。
(ライオン鎮座)
(白髭神社には、狛犬の代わりか?一体のライオンが鎮座します。噂では、あるお金持ちが造られ、何かの事情で白髭神社に寄付されたらしい?)