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藩政期の一両が1円になるまで・・・⑤

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【藩政期の日本】
日米修好通商条約は、日本が日清戦争に勝利するまで不平等条約といわれていました。一般的な関税率が、漁具、建材、食料など5%の低率関税でしたが、それ以外は20%であり、酒類は35%の高関税でした。そこまでは中学生の頃、社会の時間で聴いた覚えがありますが、為替レートが不平等であったことは見落としたか聴きそびれていたのか定かでありませんが知りませんでした。




(日米親和条約から日米修好通商条約へ)

もっとも、条約調印の翌年万延元年(1860)明治の8年前ですが、咸臨丸といっしょに航海したポーハタン号でアメリカにわたった幕府の小栗上野介が「そろばん」をはじいて、道理を説明して納得させたそうですが、現実は進行していて、ハリスやアメリカの商人羽大儲けしますが、同調したイギリスのオールコックは国に帰り失脚したといいます。



(はじめのアメリカ領事館・下田の玉泉寺)

(ポーハタン号)


(小栗上野介忠順は、幕末の幕臣で、勘定奉行、江戸町奉行、外国奉行を歴任。日本人で初めて地球を一周した人でした。幕府の財政再建や、洋式軍隊の整備や横須賀製鉄所を建設しました。etc:)


  

そこで幕府は、安政小判を改鋳したばかりなのに、急場しのぎで1ドルに合わせた形で新しい一両小判を安政小判と同じ品位ですが重さ約3分の1で再度改鋳したのが“万延小判”です。重さ3,3g(今の5円玉(3,75g)より軽い)と小さいので別名「姫小判」とか「雛小判」と言われます。


(万延小判と安政小判及びメキシコドルと一分銀の関係図)


万延小判の発行にあたり、銀の量を増やした新しい一分銀を発行し、幕府が主張していた1ドル銀貨1枚と同量23gの一分銀を作れば良かったのですが、それだけの量の銀が日本にないことから、幕府は結局ハリスの「小判の重さを減らして、調整しましょう。」という提案にのり、小さな万延小判が生まれることになったといいます。



(ハリス)

(万延小判)


(明治維新後、ハリスの暴挙で大量の金が国外へ流出し、さらに戊辰戦争による戦費や、殖産興業のために新政府は深刻な財政不足に陥ります。それでも大量の予算を充足することから、会計事務掛に福井藩で実績のある三岡八郎(福井藩士のち由利公正)を導入し、不換紙幣太政官札(10両、5両、1両、1分、1朱の5種)が大量に発行しますが、政府貨幣の信用が著しく低下します。その価値は価100両に対し、太政官札120両から150両まで下落し、三岡八郎(由利公正)は失脚します。)


≪万延小判(厳密には万延二分判2枚)の一両が明治の1円で1ドル≫
万延小判の一両は、安政小判と素材の品位は同じですが、重さは3,3gで、約37%、天保小判の約30%です。しかし当時流通したのは万延小判(金一両)より品位の低い万延二分判で、文久、元治、慶応年間を通し本位貨幣の万延小判の新鋳額64両に対し5,320万両という膨大な額が発行され幕府に出目益をもたらしたと言われています。



(万延二分判)


明治3年12月29日(1871年2月18日)アメリカ合衆国に出張中の大蔵少輔兼民部少輔伊藤博文は「現在、世界の大勢は金本位に向かいつつあり」と大蔵卿に対し建言します。そして金本位制の採用を決定。明治4年5月10日(1871年6月27日)に太政官より布告された「新貨条例」の概要に以下の条文があります。


・貨幣の基準単位を「両」から「圓(円)」に切り替え(旧1両を新1円)とする。
・1円金貨の含有金を純金23.15ゲレイン=1.5gとする(1アメリカドルに相当する)。


(万延二分判2枚の一両が新1円になります。)



(したがって、安政小判以前の一両は、万延二分判2枚の一両の約3,3倍以上にあたります。今、当時の1円が約3万円だとすれば、安政以前文化文政までの金一両は9,9万円、よく聞く文化文政の一両は10万円と言われているのも満更出鱈目でもなさそうです。)



(伊藤博文)


≪明治政府の交換レートの例≫
安政小判(一両)  金5,11g銀3,86g(9,0g) 明治政府の交換レート3,5円
万延小判(一両)  金1,89g銀1,41g(3,3g) 明治政府の交換レート1,3円
万延二分判(2枚1両)金1,37g銀4,63g(3,0g)明治政府の交換レート1,0円


明治二分判は1,34g銀4,66gと品位は万延二分判よりやや落ちますが交換レートは1,0円と同じで、交換レートが万延二分判2枚の一両と同じく明治の1円になります。


(明治30年(1897)になると、明治政府は、金のみの本位貨幣(通貨価値の基準)とする貨幣法を公布し、金本位制が確立します。また、1円を金0.75gと定められたことで1ドルが2円になりました。)



参考文献:「大君の通貨―幕末「円ドル」戦争」昭和59年(1984)4月・(株)講談社発行・「勘定奉行荻原重秀の生涯」村井淳志著・平成19年(2007)3月・(株)集英社発行・「両から円へ」山本有造著・平成6年(1994)2月・ミネルバ書房発行など


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