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Channel: 市民が見つける金沢再発見
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工藝って何!?

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【日本では】
最近、金沢では「工芸(藝)」という言葉がやたらに目に付き耳に入ってきます。多少、関わっているのに知らないと言うのもシャクですから、私が理解できる範囲で、上っ面だけですが少し調べてみました。その工芸(藝)に至る前、明治維新まで日本には“美術”や“工芸(藝)”という概念も言葉もありませんでした!?どういうことでしょうか!?探幽や等泊の素晴らしい障壁画や運慶や快慶の迫力迫る木彫等などがあるではないか!?



(工芸の産業化の議論)


そう、“美術”誕生以前の日本には、今、言うところのファインアート(純粋美術)のように、鑑賞を目的に、コンセプトを重視し生活には不必要と思われるモノはなく、“用と美“を兼ね備えた工藝的(加賀藩では細工)なものがあるだけで、作品を見るためだけに作られるモノがなかったのです。


(そうです。美術も工芸(工藝)も日本になかった海外の概念、言葉を日本語にするために創られた翻訳語です。)


(格天井画)

確かに、今見ればファインアート(純粋美術)と思しき日本画はありましたが、これは元々掛け軸や屏風、障壁画として、床の間や壁や襖等に掲げるために描かれたモノで、それは密接に生活に関わっていて、純粋に見るだけのモノではありませんでした。そもそも藩政期には、ファインアート(純粋美術)なるジャンルはなかったのです。そして、その概念が日本に生まれると共に“工藝”の概念も確立します。


(近世日本の職人達が「手仕事」によって作られた染織、漆器、陶磁器、金工品、木工品、竹工品等々、生活必需品としてのモノが、その後、重要な産業として成り立つ「手仕事」の総称として“工藝”というようになります。)


(工藝作品の展示)

その“工藝”という概念は、前にも述べたように、美術の概念が生まれる過程において創られたものですが、それは明治6年(1873)に開催されたウィーン万国博覧会への漆器、陶磁器、金工品等々の出品に際し、その出品規定にドイツ語で「Kunstgewerbe-Museen」と記されていたのが要因だと伝えられています。


(屏風)


そのドイツ語Kunstgewerbe(クンストゲヴェルベ)は、Kunst(アート・美術)とgewerbe(工業)という二語を合成した単語で、ファインアート(純粋美術)を意味するモノとは別に産業的な意味あいの強い(美術工業「工藝」)と訳され、Museenは展示コーナーで“美術工業「工藝」)展示コーナー”になりますから、当時、ドイツ語の原語レベルで“美術”と”美術工業(工藝)“が明確な分類がされていたことから、日本でも”美術工業(工藝)“という概念が持ち込まれたものと思われます。


(尚、ドイツでは「Kunstgewerbeクンストゲヴェルベ」という言葉は“芸術”に近い言葉で、当時日本には、その概念自体も無く“美術”という言葉で訳されました。“美術”イコール“芸術”で音楽や詩も美術といわれます。現在は、目で見る芸術“視覚芸術”だけを美術といわれています。)


(金沢駅の展示作品より)

その後、政府機構の主導で、分類と制度的整備が行われていくことになりますが、その分類、整備についても西欧の美術観である絵画中心主義をそのまま受け入れていくことになり、この“美術”の分類過程で、非美術とされた「工藝」が“美術”の下位概念として登場することになります。


(明治10年(1877)上野公園で第一回内国勧業博覧会が農商務省の主催で開かれます。これは文明開化を目的に行なった日本での政府プロデュースの博覧会で、この博覧会で産声あげたばかりの“美術”が出品されます。この“美術”の中の「書画」のカテゴリー(今の「絵画」)に、絵の描かれた花瓶をはじめとし、蒔絵や漆絵などが出品されていたそうです。)



(金沢駅の展示作品より)


≪参考≫
芸の旧字「藝」の字の意味には「ものを植える」ということも含まれ、これに対して「芸」は「藝」の略字ではなく、もともと存在していた字で「虫除けに用いた香草の名」を意味するそうです。「ものを植える」というのは人間を成長させる技術と考えれば、「藝」が本来は正しい字のように思います。


参考「角川漢和中辞典」編者 貝塚茂樹 藤野岩友 小野忍 昭和52年刊など


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