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武士の既得権益①!!

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【金沢及び日本】
最近、枡添要一氏の事から政治制度のからくりに多く人が気付き、国会議員や地方自治体の長や議員の既得権に目が向けられています。公職選挙法や政治資金規正法は議員が作ってもザル法になるだけで、先日、既得権で官僚と対立していた民間シンクタンクの方が、言いたいことを言うためにと、あえて自民党比例区から立候補し、声を大にして、第三者機関が決めるべきだといっていましたが、人間の集団が利己的に活動し存続している限り、勢力が拡大していくと、時間が経て何らかの既得権益をもつようになるのが人間(動物)の性、その典型が藩政期の封建制度だったいえます。




多くの武士達は気付きながら、ある者は当然のことと感受し、ある者は疑問を口に出せば社会からはみ出してしまう恐怖から、また、百姓は“物言えば口ぶる寒し“とあきらめ、武士は”百姓は生かさず殺さず“(百姓に財の余らぬように、不足なきように治める)などと、勝手な理屈を付け数百年を緩むことなく既得権益が温存されてきました。


武士の家禄は、藩政期は一旦緩急あれば、兵士として国(藩)を守る使命を帯びているためのものでしたが、明治維新は、まったくの無為徒食に陥ってしまいます。版籍奉還から廃藩置県は、家禄の廃止の経過措置として行なわれます。)



加賀藩では、加賀、能登、越中の三州で、藩政期、自ら生産しない武士および家族6万人に対し、6割の米が支給され、100万人を超える百姓は、その残り分でかろうじて命をつないでいました。国内でも大なり小なり同じようの仕組みで百姓にとっては、過酷極まりない社会で百姓の犠牲のよって支えられていました。




明冶維新は、土地や人を幕府から天皇に返し、武士の既得権を全廃する巧妙な革命だといわれていますが、版籍奉還から廃藩置県まで7年を有します。家禄をもらい無為徒食の士族に、家禄という既得権を取上げるという革命は、家禄の減俸、そして金禄への切り替え、全廃へと段階的に実に巧妙に行います。明冶政府の廃藩置県まで財政は、全国3000万石のうち旧幕府の800万石のみで、他は、各藩が管理し初めから財政難で、また軍事的にも諸藩に対抗する兵力を確保できなかったため、明冶4年(1871)7月の廃藩置県までそのまま諸藩に残されます。


(明治元年(1869)には大久保利通、木戸孝允(桂小五郎)らの主導で版籍奉還が行われ、家禄は政府から支給される形となり、禄制は大蔵省が管轄することになりますが、政府直轄領800万石、他2200万石は廃藩置県まで各藩で徴税権は藩にありました。)




(つづく)


参考文献:「石川百年史」編者石林文吉 石川県公民館連合会、昭和47年11月発行ほか


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