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第6回観光ボランティアガイド北陸大会IN永平寺①

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【福井県・永平寺】
観光ボランティアガイド北陸大会は、社団法人日本観光協会が主催で平成8年(1996)から15年続いた「地域紹介・観光ボランティアガイド全国大会」が、突然“当初の役割を果たした”ということで廃止になりますが、各地域が一堂に会し話し合うことの必要性を思っていた、北陸3県のガイドの有志によって開催するようになった「観光ボランティアガイド北陸大会」も6年目。今年は10月13日、福井県の永平寺町で開催され参加しました。

 

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(第6回観光ボランティアガイド北陸大会IN永平寺)

 

(平成23年(2011)4月1日より、(社)日本ツーリズム産業団体連合会(TIJ)は、(社)日本観光協会と合体し、公益社団法人日本観光振興協会の名称で、新組織として新たにスタートします。)

 

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(永平寺通用門)


曹洞宗大本山永平寺は、フランスの旅行ガイド本「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン(日本編)」では★★★ではなく、観光旅行を目的しないためか?★★に評価されています。道元禅師が越前の山中に約770年前の開いた禅の修行道場で、山腹に建てられた伽藍の中、今も200人近い雲水(修行僧)が「禅」の中に真理を追い求めて修行を続けています。

 

(「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン(日本編)」は平成27年(2015)6月15日に改訂版が発刊されましたが「訪れたときに受ける第一印象」「文化財の豊かさ、レジャーの充実ぶり」「旅行者の受け入れの質」など九つの独自基準で観光地を評価し、お勧め度を、★★★(わざわざ旅行する価値がある)★★(寄り道する価値がある)★(興味深い)で紹介しています。)

 

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(山門吉祥の額)


道元禅師の説いた「禅」の教えの中心に据えられていますが「只管打坐(しかんたざ)」。ただひたすら坐禅することが「悟り」そのものだというまた、掃除や食事、顔の洗い方まで日々の生活の中に細かく定められた「教え」も770年来変わることなく大切に受け継がれています。

 

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(山門にて)


この永平寺が守ってきた文化や自然はやがて、門前に暮らす人々は「大本山」と親しみ込めて呼ぶようになり、越前の風土を象徴するものにまで浸透しこの地を支えてきました。また、深山幽谷に展開された大伽藍、大みそかの除夜の鐘、精進料理など、国内や外国の人々を引きつけています。


(寺号の由来は中国に初めて仏法が伝来した後漢明帝のときの元号「永平」からとり、意味は「永久の和平」である。)

 

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(山門の四天王)

 

道元は正治2年(1200)に生まれます。父は村上源氏の流れをくむ名門久我家の久我通親とするのが通説ですが、異説もあります。幼時に父母を亡くした道元は仏教への志が深く、14歳で当時の仏教の最高学府である比叡山延暦寺に上り仏門に入ります。

 

(道元は、西暦1200年生まれなので、年表を見れば年齢が一目瞭然、例えば越前に来た年は、寛元元年(1243)ですから43歳ということ事を地元の観光ガイド方から教えて戴きました。)

 

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(仏殿)


道元には「天台の教えでは、人は皆生まれながらにして、本来悟っているはずなのに、なぜ厳しい修行をしなければ悟りが得られないのか」という強い疑問がありました。臨済宗建仁寺の栄西禅師に教えを請いたいと思ったが、栄西禅師は道元が出家した2年後に世を去ります。

 

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17歳の建保5年(1217)比叡山を下りた建仁寺に入り栄西禅師の直弟子である明全和尚に師事します。ここでも道元禅師の疑問に対する答えは得られず、真の仏法を学ぶには中国(宋)で学ぶしかないと道元は考え、師明全和尚も同じ考えで人は師弟ともども23歳の貞応2年(1223)に渡宋します。

 

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道元は天童山景徳寺の如浄禅師に入門し修行します。如浄禅師はひたすら坐禅に打ち込む「只管打坐(しかんたざ)」に影響を受け、道元は如浄禅師の法を嗣ぐことを許され、4年あまりの滞在を終えて帰国します。

 

(一緒に渡宋した明全は渡航2年後に現地で病に倒れ2度と日本の地を踏むことはなかったといいます。)

 

日本へ戻った道元禅師は初め建仁寺に、後に深草(京都市伏見区)に興聖寺を建立して説法と著述に励みますが、旧仏教勢力の比叡山からの激しい迫害に遭います。

 

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(永平寺全景図)

 

旧仏教側の迫害を避け新たな道場を築くため、道元は信徒の一人であった越前国の地頭波多野義重の請いにより、興聖寺を去って、義重の領地のある越前国志比庄に向かうことになります。43歳の寛元元年(1243)のことです。


当初、波多野義重は道元禅師を吉峰寺へ招きます。この寺は白山信仰に関連する天台寺院で、現在の永平寺より奥まった雪深い山中にあり、道元はここでひと冬を過ごすが、44歳の寛元2年(1244)には吉峰寺よりも志比の庄に近い地に傘松峰大佛寺を建立しますが、これが大本山永平寺の開創であり、寛元4年(1246)に山号寺号を吉祥山永平寺と改めています。

 

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(波多野氏子孫のご夫妻)

 

(今回のガイドは、その波多野氏の子孫の方で何でも約770年間この地で、大本山永平寺の筆頭檀家であった方が、今年の3月よりご夫婦で地域のボランティア活動を始められたそうです。PCで検索すると平成27年度「第3回福井県観光おもてなし」に認定されていました。)

 

(つづく)

 

参考資料:Wikipedia:ウィキペディアフリー百科事典・永平寺など


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