【金沢】
今年の9月29日に発行された伊東潤著「西郷の首」は、来年のNHKの大河ドラマ「西郷どん」と言うことで、予備知識としていろいろ読んでみたくなり、アマゾンで調べていたら「西郷の首」が引っ掛ました。解説を読むと、主人公が加賀藩の足軽で、よく知っている人物の物語りでした。早速、取り寄せて、今、半分ぐらい読み終えました。
小説「西郷の首」は、約500ページに及ぶ本格歴史長編ですが、西郷が出てくるのは、実質4ページほど。小説の“西郷の首”は、武士の世から維新へと時代が移り変わる象徴として、使われています。本書の主人公は、千田文次郎(登文)・島田一郎(一良)という、実在の人物ですが無名の加賀足軽で親友だったと言われています。背景に書かれていることでは、明治維新に日本が変わった事を知ることができます。
(西郷の首にある左白禿山と医王山・奥医王・手前戸室山)
物語は、文次郎、一郎の視点で進み、文次郎は時代の流れに順応し、軍人となります。西南戦争のあと、西郷隆盛の首を拾った男で、もう一人の島田一郎は時代の流れに抗うかのように政治結社を結成し、紀尾井町事件で、大久保利通の暗殺を企てる反政府活動に身を投じます。2人は、激動の時代に翻弄されながらも、日本を良くしようと幕末から維新を懸命に生き抜きます。
(野田山入り口にある島田一郎の墓)
加賀藩は百万石の大藩でありながら、藩としては幕末維新の動きにすっかり乗り遅れてしますが、私の大好きな幕末の金沢と地元の人しか知らない隠れた偉人が、作家伊東潤氏の筆により、読みやすく素敵は文章で、しかも分かりやすく描かれています。
(明治の金沢城石川門)
加賀藩では、13代藩主斉泰公は幕府側で藩論は概ね保守派、しかし徳川家の孫である世嗣慶寧公は朝廷側に付きます。禁門の変で、多くの勤皇派は粛清され、一時慶寧公も謹慎になり、戊辰戦争では、幕府側として京を目指すが、いったん引き返し、改めて官軍につき、多くの血を流した加賀藩士たちも、維新の恩恵を受けられませんでした。加賀藩は、百万石の大藩だけあって人材も豊富で、彼らはいかに優秀であっても、明治政府では大臣やそれに次ぐ地位に就いた者はいません。
出来るだけ早くこの本を多くの方々に読んで頂きたく、急ぎ、読み終えた第一章「蓋世不抜」について書きたいと思いますが、なにしろ「本作品の全部または一部を無断で複製、転載・・・など、あるいはウエブサイトへの転載等を禁止」などの条件もあり、私が過去に書いた市内の寺社や紀尾井町事件、元治の変など拙い文章を参考に添付します。
≪第一章に登場する加賀藩の人物≫
千田文次郎・島田一郎・澤田百三郎・福岡惣助・前田斉泰・前田慶寧・小川幸三・浅野屋佐平・杉村寛正・陸義猶・本多政均・宮崎栄五郎・島田金助・島田冶三郎・奥村栄通・横山外記・松平大弐・山辺沖太郎・井口義平・堀四郎左衛門・千秋順之助・山森権太郎・藤懸庫太・不破富太郎・長連恭・大野木仲三郎・青木新三郎・白銀屋与左衛門・永原甚七郎など。
拙ブログより
「島田一郎」①~⑤
島田一郎①紀尾井町事件
https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11883474463.html
「福岡惣助」
寺町台“寺活の寺院”承証寺②
https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-12030571228.html
(福岡惣助のお墓)
「松平大弐・前田慶寧」
大弐が死んで!!なんと庄兵衛
https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11308900520.html
「千秋順之助」
加賀尊王派の学者千秋順之助①
https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11494764038.html
「永原甚七郎」
欠原の崖上のお寺①棟岳寺
https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-12290705614.html
(今の長町千田邸辺り)
登場人物の多くは、私が、よく親しんだ人々が網羅されていますが、上記のブログでは、私が昔から諸々で得た知識や私の読解力の不足から多少違いもあると思いますが、ご容赦ください。また、小学校や中学校で同級生だった人の親族や知人もご先祖様といて登場します。その人達や私が子供の頃に聞いた話など、間違って理解したこともあるやに思いますが、そのあたりは素人の書くものとして重ねてご容赦願います。
(つづく)
参考文献:大戸宏著「七連隊・千田中尉西南戦争の秘話」月間アクタス 北国新聞社発行ほか