【金沢天神橋→卯辰山→ひがし茶屋街】
KANAZAWA FRINGE(カナザワ・フリンジ)の前夜祭が今夜あり参加予定です。11月3日~5日まで金沢21世紀美術館では「周縁から、動き出す。KANAZAWA FRINGE」という、国内外からアーチストやクリエーターか金沢に滞在し作品を制作するアーチスト・レジデンスプログラムの体験や発表や展示が行われます。
(ポスター)
「周縁」という、あまり聞き慣れない言葉ですので、聞くと「まわり」とか「周辺」という言葉が返ってきました。辞書で繰ると、もののまわり・ふち「大都会の周縁部」とあり、ビンときませんので、英語のFRINGEで調べてみました。
英語ではFRINGEは、ヘリ、末端、縁、周辺、外れ、また、主流から逸脱した一部の集団、非主流派、分派(集団)、過激派グループと訳されるそうですが、「周縁から、動き出す。」というフレーズはどの辺りの意味なのか、よく分かりませんが、ようは、滞在するアーチストやディレクターが街や人々との出会いから生まれる作品ということらしく、それなら伝えたい所があり、無理やり納得して、先日、私は台湾のアーチストと出会い散歩しました。
(金沢21世紀美術館の掲示板)
プログラムは、1から5まであり、わたしは、参加型の作品「Walk with Me」に参加させて戴きました。台湾の若い女性アーチストでウェイ・シンエン(Wei Hsinyen)さんと金沢市内を散歩するもので、最初は若い女性と久々にデートが出来ると喜んでいました。
(泣き一揆で叫んだところ)
日が迫ってくると、英語が出来ないので心配になり、それでも筆談でと思いましたが、散歩に選んだコースは、幕末のお話をしなければならないので、難しいのではと不安になり、英語の出来る友人に手伝って貰うようにお願いしました。
(日暮ヶ丘にあがる鳥居)
生憎、当日は台風が通過する日に辺り、延期になり、3日後に友人も空けて頂き、天気もよく何とか、1時間半の山歩きで、途中で私が足手まといになりかけましたが、何事もなく予定通り散歩を終えました。
散歩のコースは、「安政の泣き一揆」ゆかりの地をめぐるコースで、日頃、観光客にはこちらからお誘いしないところで、主に市内の小学生や町内会の古里学習や藩政期の金沢の庶民の生活や事件に興味のある人をご案内しています。今回は、外国のアーチストに昔の金沢の庶民や為政者やそれに繋がる人々の行動を知って戴き、どのように感じたのか知りたいと思ったからです。
(七稲地蔵とお墓)
≪コース≫
寿経寺の七稲地蔵とお墓→観音院→日暮ヶ丘(叫んだ場所と言われています。)→宝泉寺(当時のランドマーク五本松)→八幡町→ひがし茶屋
(七稲地蔵・寿経寺前)
《この騒動の特徴》
民衆のシュプレシ・コールによる、非暴力的一揆ですが、騒動は金沢市内だけに留まらず、短期間で全藩領域に拡大したことにあります。金沢町で目立った打ちこわしはなかったにも関わらず首謀者は厳刑に科せられています。藩が受けた衝撃の強さを表しているということでしょう。加賀藩史料によると「御国初以来二百五十年之間に未曾有之変事」であったと記述されています。
参考ブログ
伝説ですか事実ですか「安政の泣き一揆」
https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11282842364.html
現在、観光客に人気の「ひがし茶屋街」とは目と鼻の先。幕末の象徴とも言える幾つかな遺跡は、ひっそりとしかし存在感を残し往事を伝えています。