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千田登文と西南戦争③西郷の首と生存説

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【鹿児島・金沢】

「西郷の首」は明治10年(18779月の鹿児島城山の戦いで、西郷が切腹した後に、政府軍の将校(千田登文中尉)によって発見され政府軍の指揮官だった山県有朋らによって首実検が行われ、胴体とともに鹿児島市の西郷南洲墓地に埋葬されたといわれています。しかし、その首は西郷の首ではないという説が出て、西郷自身の生存説も広まり、100年もの間、その首が本物だとする専門家と偽者だとする専門家がいて、西郷の首の真贋について論争が起きていたらしい。

 

 (桜島・山澤忠浩画)

 

(日本の歴史では、惜しまれた人物ほど「実は死んでいなかった」という説が後世に残されたりします。その典型的人物は、源義経、豊臣秀頼、真田幸村などがあり、西郷も民衆に慕われていたことなどから、西郷が海外に逃れて生き延びていたという説が当時多数流れたといいます。)

 

拙ブログ

長町ひるさがり―南州翁の首―

https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-12328914166.html

 

 

≪西郷隆盛生存説≫

明治維新より西郷の人気は絶大で、城山の戦い後に「中国大陸に逃れて生存している」というのが広まり、旧薩摩藩の西郷を慕う者を中心に元士族達の間から生存伝説があり、明治から大正にかけて西郷隆盛生存説は庶民にも流行り、“ロシアで生存しており目撃者がいるとか、ロシアの戦艦に乗って帰国する”と言われていたそうです。

 

明治24年(18895月、日本にロシアの皇太子が訪れます。当時のロシアは超大国。機嫌を損ねまいと日本は国を挙げて皇太子を歓迎します。その想いが高じたのか、ニコライ2世の来日に西南戦争を生き延びた西郷隆盛が同行するとの噂が囁かれていたそうです。

 

 

  (西郷隆盛)

 

ニコライ2が滋賀県の大津市で、護衛に当たっていた津田三蔵巡査にサーベルで斬りつけます。大津事件です。ニコライ2は軽傷ですみます。斬りつけた津田は、元は西南戦争で政府軍の伍長で、当時、滋賀県警に奉職し護衛に当たり事件を起こします。斬りつけた動機として、死んだはずの西郷隆盛がロシアに逃げ延び、帰国することで津田西南戦争での功績が取り消されることを恐れて、犯行に及んだという説が実しやかに伝えられています。

 

また、当時約15年で大接近する火星のスーパーマーズが話題になり西郷星と呼び、火星を望遠鏡で見ると軍服姿の西郷が見えると評判になったといいます。

 

 

 

それから西郷の死を明治天皇も悼むところから、維新以来の政争の勝者の中には西郷の生存に怯える者、そして西郷に例え逃亡者となっても生きていて欲しいと思う者達もあり、西郷生存への願望が生存の噂を生み、西郷の生存を望まない者は疑心暗鬼に陥ったと言われていたらしい・・・。

 

その生存伝説が、真っ赤な嘘だったことが金沢で最近発見された金沢の陸軍歩兵第7連隊の中尉千田登文の「履歴書」で明らかになりました。この「履歴書」は、大正の末から昭和の初期にかけて、陸軍に提出するために書いたもので、その中に「西郷ノ首ナキヲ以テ、登文ニ探索ヲ命ゼラル」「探索ヲナシタルニ、果シテ門脇ノ小溝ニ埋メアルヲ発見シ、登文、首ヲ●(もたら)シテ、浄光明寺ニ到リ山県(有朋)参軍、曾我(祐準)少将ニ呈ス」ときわめて具体的に書かれています。

 

「履歴書」の記述によって、発見、埋葬された首が本物であることがはっきりした分けです。

 

 

  (島田一郎)

 

上記、千田登文の「履歴書」の記述がある「西郷隆盛の首を発見した男(大野敏明著)には、登文の竹馬の友島田一郎が西郷の盟友大久保利通を暗殺するという運命の皮肉とも言えいえる紀尾井町事件や日清、日露と登文の戦争の歴史がこと細かく書かれ、明治39年1月(59歳)、正六位に叙せられ、その年の4月、旧藩時代は、お目見えも許されなかった旧主家の16代前田利為の結婚式に招かれ感無量だったと思うと書かれています。

 

また、千田登文は子宝に恵まれ、4人の息子は全員が陸軍士官学校に入り、娘婿4人のうち3人までが陸軍士官学校、陸軍大学校を優秀な成績で卒業したエリートで、長男登太郎が戦死、3男の木村三郎は切腹するなど軍人一家の波乱に富んだ生涯が記述され、巻末には千田登文関係系図や略年表が付けられています。

 

著者大野敏明氏は、陸軍を専門とする戦史研究家で、あとがきで登文の3男(木村三郎)が筆者の祖母の姉の夫だということを明かされています。不思議な糸に導かれるように著者がこのテーマに取り組んでいったことが分かります。

 

「西郷の首を発見した男」は、金沢の幕末から昭和初期に生き、戊辰、西南、日清、日露の戦争で活躍した郷土の偉人千田登文とその軍人一家の話です。今のご時勢、軍人は誰も偉人とはいいませんが、私の認識では郷土の偉大なる人物の一人です。前回の小説「西郷の首」と会わせて、是非、ご一読を・・・。

 

      

 

著者:大野 敏明(おおの としあき)昭和26年(1951)東京生まれ、学習院大学法学部卒、日本の評論家で現在産経新聞編集委員、亜細亜大学、国際医療福祉大学各講師。主な著書は「知って合点 江戸ことば」「日本語と韓国語」(以上文春新書)、「歴史ドラマの大ウソ」「坂本竜馬は笑わなかった」(以上産経新聞出版)、「新撰組 敗者の歴史はどう歪められたのか」「日本人なら知っておきたい名字のいわれ・成り立ち」「切腹の日本史」(以上実業之日本)など。

 

参考文献:「西郷隆盛の首を発見した男」大野敏明著・株式会社文藝春秋・平成262月発行・金沢小説小品集Ⅱ「長町ひるさがり―南州翁の首」北国出版社 昭和53年(19784月発行(「南州翁の首」は、昭和33年(195812月・大戸宏著)迷宮の旅「七連隊・千田中尉西南戦争の秘話―西郷の首を拾った男―」大戸宏著・月刊アクタス平成 8年(1996 4月号)北国新聞社出版局発行、他


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