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本多政均暗殺事件と仇討ち②陰謀説と事件

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【金沢藩】

「土佐さん、はようらと出ておくれ、安房餅ゃしだいに、手に合わぬ」

(政均の政治のやり方は適切ではなく、早く前田土佐守が出てきて、政均にとって代わって欲しい。という意味らしい・・・)

 

(石川門)

 

その頃、政均は世間ではよく思われていなくて、このような狂歌が流行っていたそうです。土佐さんは加賀八家の前田土佐守直信で安房餅の例えは本多播磨守政均です。代々本多家の国守号は安房守を名乗る者が多かったが、政均は播磨守ですが安房餅にされたようです。

 

 

(本多政均)

 

当時、久留米藩や刈谷藩、高松藩でも執政が討たれています。その理由は一つではなく、攘夷・佐幕で揺れ動いた後遺症や各人の不徳もありますが、執政が藩士にとって不都合な施政を行う立場にあったと言うことが大きな理由のように思います。

 

(加賀藩では、武士の中に細分化した身分があり、八家(年寄)、人持、平士、与力、御徒、同心、足軽の7つからなり、八家は最高位で藩政の執政役に選ばれ月番・加判の職に付きます。「月番(御用番)は、月交代で藩政を主宰する」「加判は藩政についての審議に参加し月番が起草した文章に署名をする」というものです。八家の半分の四家が従五位下に叙せられます。また、国守号がゆるされ、藩から執政役を命じられます。幕末から明治維新は前田直信、奥村栄実、村井長世そして本多政均です。版籍奉還以後は執政(1人)参政(数人)になります。)

 

 

 (城は石垣ではなく独裁か?)

 

しかし、この事件には、政均を排除するよう前田土佐守直信が沖太郎等をそそのかしたふしがあるといわれています。土佐守と元家老の青山将監が、斬奸の後に乗り出し善後処置を講じることを黙契していたらしい?しかも、新政府の後に右大臣になる岩倉具視の教唆によるものだと囁かれています。これは暗殺に関与し本多義士の追っ手から近江に逃げた元藩士岡山茂が残したものからも窺えるそうですが、真相は、未だに歴史の沼に埋没しています。しかし真実は・・・?

 

(慶寧公)

 

こんな話を打ち消すかのような話が伝えられています。当時の金沢藩知事前田慶寧公は黙っていなかったといわれるもので、犯行の翌日、政均の改革は自分の意に沿うものだと強調した上で、「今後は心得違いをすることのないよう、一同に強く申し諭しておく」と家臣に命じています。

 

 

 (暗雲が・・・)

 

≪暗殺事件のあらまし≫

明治2年(186985日、版籍奉還から約2ヶ月後、本多政均の暗殺をもくろむ若い藩士が彦三5番丁の三等上士岡野判兵衛の屋敷に集まります。山辺沖太郎、井口義平、多賀賢三郎、菅原輔吉、土谷茂助、岡山茂そして岡野悌五郎の7人で、その他の同志は、上坂丈夫、松原乙七郎、石黒圭三郎、岡野外亀四郎らで、それぞれの都合で欠席しています。

 

 

(金沢城橋爪門)

 

本多政均を何故殺害するのか、その理由を書いた「斬奸趣意書」の草稿を書いたのが土谷茂助、清書したのが多賀賢三郎でした。暗殺は6日か7に決まり、5日の密議では、暗殺者2人の人選。当たりは黒点の印がついたかんぜよりくじ引きです。当たったのは山辺沖太郎と従兄弟の井口義平で、いずれも一党の発起人でした。くじが外れた同志は口々に残念がりますが、中でも兄が元治の変で逼塞になり、政均への恨みを抱いていた、この屋敷の岡野悌五郎が一番悔しがります。

 

その日は、準備万端整い、同志らは多賀賢三郎の屋敷に集い酒を酌み交わします。翌6日、山辺、井口2人は堂形前(今、しいのき迎賓館前)で落ち合い、堂形前から石川門の間を行ったり来たりします。朝四つ(午前10時)先歩2人、輿の支え4人、輿の脇13人、後方1人、他、槍持ち、草履取りなど総勢20人余り、若い井口は石川門に入る前に切ろうと山辺に迫りますが、沖太郎は、“万一われらが本懐を遂げられず斃れたならば、同志は一網打尽にされ、政均の悪政は変わることが無い!!”と井口を諭し、翌87日に再度決行することにします。

 

 

(二の丸図)

 

翌日7日。山辺と井口は、石川門に近い百間堀から政均の行列が歩んでくるのを確認し、山辺は井口を促し、二の丸の裏式台から廊下へ出て御廊下へ、やがて政均は一人で長さ20間(36m)廊下3分の2は帯刀で、あとの3分に1を腰から刀をはずし手に持って歩いてきます。2人はさっと左右に分かれ、黙って立礼をし、政均は軽い会釈。2人の間を抜けようとしたその時、山辺は脇差しを抜き駆け寄り、脇差を左脇腹に突き立てました!!

 

(つづく)

 

参考文献:「加賀風雲禄」戸部新十郎著 株式会社新人物往来社 19977月発行「明治忠臣蔵」中村彰彦著 株式会社双葉社 199512月発行「加能郷土辞彙」日置謙著 金澤文化協会 昭和172月 「尾山城魔界」正見巌著 北国新聞社 201311月 発行他

 


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