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金沢・観音町復活①現在は!!

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【金沢東山1丁目】

先日、“金沢「観音町」復活へ”の記事が北国新聞の1面に踊っていました。旧観音町(東山1丁目)と言えば、私にとって17年前、金沢ボランティア大学校に行くようになり、街中研修で初めて訪れた町でした。その頃は、すでに東山1丁目でしたが、ひがし茶屋街休憩館もなく、研修では、昔、観音院の参道で、藩政期から戦後しばらくまで魚屋や味噌屋、醤油屋、酒造業や質屋等々ありとあらゆる店が軒を連ね、横に繋がるデパートのようで金沢では2番目の繁華街だったという解説がありましたが、その頃、人気の出始めの茶屋街の裏通りという位置付けで、少し寂れた街だったように記憶しています。

 

 (観音町の石標)

 

今は、当時と比べものにならないほどの人出があり新しい店も増え、お土産屋、カフェ、レストラン、お菓子屋の他に、変わったところではカレー屋で魚介類を売る店、醤油アイスクリームの店、和風ホテル、骨董屋等、今までになかったお店も出来、町歩きの観光客も多くなり、トイレ付きのひがし茶屋休憩館では、入場者も10年前の35倍に増える日もあり、昔ながら三和土(たたき)の土間の傷みも激しくこの春にはオープン以来2回目の修理に入っています。

 

 

(北国新聞記事)

(三和土工事中のひがし茶屋街休憩館)

 

金沢市内の旧町名の復活は、平成11年(199910月に、全国の自治体で初めて「主計町」が復活し、その後、旧町名が次々に復活し11の旧町名が復活しましたが、平成21年(200911月の下新町と上堤町を最後に動きが止まっていました。

 

(平成11年(1999)、山出市長時代「旧町名」に復活する運動が始まり、現在11の旧町名が復活していますが、当時の山出市長は旧町名の復活は「懐かしさよりもコミニティーの復活や」とおっしゃっていますが、金沢の文化の高さを示す試みで、ここ9年程一服していましたが、最近、すでに金石の「金石下本町」「金石通町」「金石味噌屋町」が旧町名の復活を目指ています。町名変更の実績は、主計町・平成11年、下石引町・平成12年、飛梅町・平成12年、木倉町・平成15、柿木畠・平成15年、六枚町・平成16年、並木町・平成17年、袋町・平成19年、南町・平成20年、下新町・平成21年、上堤町・平成21年)

 

 

(家の壁の東山1丁目)

(懐かしいポスト)

(昔ながらの暖簾)

 

新聞記事によると、旧町名のエリアは、1丁目が約0.8ヘクタール、2丁目が約0.5ヘクタール、3丁目が約2.4ヘクタールで、3町会でつくる「観音町をよくする会」が中心となって、平成27年(2015)頃から旧町名の復活を検討してきたそうです。

 

(現在、観音町は1丁目と2丁目が存在しませんが、昭和41年(1966)当時東山1丁目に編入されなかった0.3ヘクタールのみが「観音町3丁目」として残っています。)

 

 

(旧観音町1丁目)

(旧観音町2丁目)

 

町内会の観一町会(36世帯)は41日、観二町会は(27世帯)は325日、観三町会(33世帯)は48日にそれぞれ総会を開き、過半数の賛成により旧町名復活を目指すことを決議したとのことで、「観音町1丁目」「観音町2丁目」「観音町3丁目」の旧町名の復活を目指すことを決めたもので、早ければ2019年春にも観音町で住居表示がなされるそうです。

 

復活には、面倒なツールもあるらしく、大変だと聞きます。その流れは、金沢市によると、旧町名復活の手続きは、地区から復活の申し出を受けた後、市が復活区域の土地や建物などの現況を調査します。その後は、金沢市旧町名復活審議会に諮問し、市議会に町名変更議案を提出します。市議会での議決を経た後、市長の告示により旧町名が復活する流れになになるそうです。

 

 

(観音町のシンボルとなっているひがし茶屋街休憩館)

 

≪順調に行けば来春にも観音町12丁目と3丁目の1部が復活します!!≫

 

現在、東山1丁目に属する旧町名。観音町以外、

愛宕14番丁

(佐久間盛政が金沢城に在城の頃、現兼六坂(尻谷坂)の上にあった愛宕社を前田利長公の命で、現在の料亭「山乃尾」に所に移し、卯辰愛宕社明王院と称したことから愛宕下や茶屋町と呼ばれ、弘化3年(1846)から愛宕一番丁から三番丁となった。慶応3(1867)愛宕一番丁から三番丁が、卯辰京町・中ノ町・老松町・宮川町となり、明治5年宮川町が愛宕四番丁となった。現在東山1

 

 

森下町

(藩政初期、森下村の郷士亀田大隅の子孫が染工になって居住していたので、この名がつけられた。本町の一つ・現在東山123と森山1)

木綿町

(かつて木綿問屋が居住したことによる。地子町の一つ1・2)・八幡町(卯辰八幡宮が、慶長4年から明治6年まで宇多須神社の地にあったので、社号からこの名がついた 現在東山12

御歩町15番丁

(藩政時代、藩主を警護する歩(かち)が住んでいたので、この名がついた。はじめ観音下御歩(徒)町などと呼ばれていた 現在東山1)

木町1~4番丁

(藩政のころ、材木問屋が集まっていたので、はじめ卯辰ノ木町、かつて四筋あったことから四丁木町などと呼ばれ、のち、この名がついた。地子町の一つ・3番丁は現在東山1・他は12

豊国町

(観音山下町が改称されたもの。豊国神社社殿の麓にあったことから、明治元年、この名がついた 現在東山1)

 

(つづく)

 

参考:北国新聞 平成30年(2018)410日号・金沢市ホームページ旧町名~現在の町名一覧

 


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