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小立野の旧上野村③野坂・牛坂・大坂

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【旭町→小立野12丁目】

現在、小立野の県道10号線アベニュー城東(小立野1丁目9−1)の前の小路を元金沢大学工学部グランド横より小立野1丁目36に抜ける通りの先(今は坂が有るように見えない。Googleマップには記載なし)、旭坂へ続く500m程の坂を野坂(牛坂・大坂)といい、藩政初期、金沢城へ戸室山から石を運んだ坂と言われています。現存する大正10年(1921)の金沢市街図では上野射撃場を横切り田上ノ橋(今の下田上橋)に繋がる坂になっています。坂道の道幅約1,7mで、雨が降ると、すぐに雨水が流れ大川となったといいます。

 

 

(野坂の上から奥卯辰)

(野坂の隣海鼠塀の屋敷から小立野1丁目辺り)

 

 六 小立野口

 小立野口ハ、尾張町ヨリ大手町・尻垂坂通・下石引町・中石引町・上石引町・小立野新町・上野町郊端ニ達シ、刀利越往来ニ通ス、長サ十八町四十間ナリ、越中方面ニ越ス間道ニシテ、郊端ヲ経、少シ許リニシテ道路分岐ス。

 

右ハ土清水・牛首ヲ経テ銚子口ニ達シ、左ハ牛坂ヲ下リ田上橋ヲ渡リ戸室山方面ニ通シ、又浅野川ノ右岸二沿イ上田上ヲ経テ銚子口ニ至リ、右方ノ道路ト合シ、浅野川上流ノ各村邑ニ通ス。上方湯涌村ヨリ越中二通スル間道アリ。

 

此ノ牛坂方面ノ往来ハ、金沢城修築ノ石材ヲ、戸室山ヨリ切リ出シ運搬セシ道路ニシテ、石引町ノ如キ名称モ、因ッテ生セシナリ。         金澤市街温知叢誌乾坤より

 

 

 (金澤市街温知叢誌乾坤)

 

参考ブログ

石引の道“野坂”

https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11084631627.html

 

 

(大正10年の金沢市街図の部分を加工・玉川近世史料館)

赤い線は野坂・茶色の元金大工学部・ブルーは天徳院

 

(野坂に至道・左は元金大工学部グランド)

 

今は3mから2m程の幅で、人がどうにか通れる道になっています。小立野台に上がる直前や田上側の旭坂車道の途中隅から上がる処も石段が付けられています。しかし、近年は徒歩の方でも旭坂を利用する人が多く、野坂を上り下りする人は殆どなく、小立野台側の隣には海鼠塀のお屋敷の塀があり、坂上は少し開けていて崖上の眺望台のように見えます。

 

(野坂の下る石段)

 

(上野射撃場の有った頃、この野坂(牛坂)の中程に橋爪という菓子屋(現在小立野1丁目)があり、兵隊さん向けに和菓子のアンマキを製造販売していたといいます。昔、そのお菓子屋の娘さんから「野坂は昔オオサカと呼ばれていた」と参考文献「さきうら」に乗っています。書かれた方の言によると「オオサカ」というのは重要な坂(戸室石を運んだ坂か?)と云う意味があるそうです。また、明治5年(18729月の皇国地誌の加賀国石川郡上野新村の道路の項「刀利踰往来」に、“村地ノ西南 金沢上野町界ヨリ 東方大坂(オオサカ)ヲ下リ牛坂村地界ニ至ル 長七町五十間 幅四間或ハ三間。とありります。)

 

(小立野1丁目の和菓子の「はしづめ」

(上野八幡神社)

 

加賀藩士脇田直賢(金如鉄)は、韓国から帰化人で1500石小将組頭や金沢町奉行にまで出世します。野坂辺を眺望が7歳まで居た漢城(ソウル)の景色の似ていることから落涙したという伝説が青地礼幹の可観小説に書かれているそうです。

「金澤古蹟志」より。

 

此の辺りは中秋弄月の最勝景なり。脇田夕庵祖父の如鉄は、高麗人の擒(とりこ)にて、朝鮮人金氏なり、然るに此の辺若松山・浅野河映帯せる勝景、故郷の風景に彷彿たりとて、思郷の涙を流せしとなり。詩歌者流此の古塚の頂に登りて月を賞す。然れども酣酒多時なれば、墳霊妖崇をなすと言い伝ふ。按ずるに、是長享以前富樫氏の遺墳なるべし。

(古墳とあるのは、現在の上野八幡神社や元金大工学部のところにあった富樫一族の古墳)

 

(元金大工学部の跡より眺める山々)

 

青地礼幹(あおちのりもと):江戸中期の加賀藩の儒者で藩士。延宝3年(1675)青地定政の子として生まれる。父は本多家の一族から青地氏の養子。加賀藩の八家本多家の初代本多政重は米沢藩家老直江兼続の養子に入った時に生まれ子の子孫で、兄斉賢(兼山)と共に、室鳩巣に師事し、前田綱紀公、吉徳公に仕え、新番頭、小姓組頭などを勤る。加賀騒動に先立って、寛保2年(1742)、家老本多政昌宛に大槻伝蔵の弾劾文を送ったことでも知られている。

 

参考ブログ

西田庭園「玉泉園」と脇田九兵衛直賢①

https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11742999642.html

玉泉園を作庭した脇田九兵衛直賢②

https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11744735655.html

 

参考文献:「金澤古蹟志」森田柿園著 金沢文化協会 昭和9年発行・「さきうら」過去・現在・そして未来へ 高田慈久 金沢市崎浦公民館 平成14年発行・「金澤市街温知叢誌乾坤」氏家栄太郎著 八木田武男編 1999発行

 


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