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小立野の旧町名①旧上野町、旧天徳院門前と旧小立野新町

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【小立野34丁目・石引2丁目の一部】

旧上野町(うえのまち)は、旧上野新のところで少し触れましたが、崎浦村が昭和11年(1936)金沢市の編入に際し、崎浦村上野新を金沢市上野本町としたもので、旧上野町とは別のものです。旧上野町は、小立野台地にあって、湯涌街道に沿い、倉谷往来が分岐するという交通の要所に位置していて、初めは上野新村の村地でしたが相対請地が進み次第に町屋が出来、貞享4年(1687)には町奉行の支配下に入り、文政4年(1831)には上野町と称します。

 

 

(旧上野町の石標)

 

 明治4年(1871)の町名改正の際には宝憧寺門前(現幸町)天徳院裏門前を加え、158軒の旧上野町となり、昭和39年(1964)の住居表示の改正で小立野3丁目となります。上野町の町名の由来については、何回か書きましたが、牛坂の上の町であったからこの名がついたと言われています。この町は昭和1桁代の頃までは辰巳や湯涌からの街道にあたり、馬車利用者も多く蹄鉄を打つ鍛冶屋の店も多かったと聞きます。

 

(門敬寺)

(明治の地図には左湯涌谷道・右犀川谷道)

 

参考ブログ

お地蔵さんと善光寺坂①

https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-12286230457.html

お地蔵さんと善光寺坂②

https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-12287049217.html

 

旧天徳院門前は、小立野新町の北東にある曹洞宗天徳院の門前地で、寛文11年(1671)旧上野村と境争論を起こしています。天徳院の下馬腰掛所があったので、下馬先とも言ったらしい、明治4年(1871)天徳院門前の三ッ辻(至石引・至天徳院・至亀坂)から天徳院に掛けて南東側60軒が旧上鶴間町(現小立野4丁目の一部)になり、北西側12軒が旧上石引(現石引2丁目の一部)へ合併し、天徳院裏門前は旧上野町に合併します。

 

 

(天徳院門前)

(今の小立野新町)

 

旧小立野新町(こだつのしんまち)は、町域は石引往還の両側で藩政初期、戸室山より金沢城へ石を曳いた道です。町名は藩政期の元文5年(1740)に小立野新町に火災があったとの記録がその初見だそうですが、その以前にも小立野新町の存在を示す図、享保19年(1734)軍学者有澤武貞編の「加陽金府武士町細見図」があり、その後の延宝金沢図(167381)では地子町とあり、町名の記述はありませんが、もうその頃には「小立野新町」と呼ばれていたことがわかります。

 

(文化8年の町絵図部分加工)

小名かめ坂・小立野新町と辰巳用水の分流が見える

 

 

(上野町・小立野新町・松下町図部分を加工)

明治25年「金沢市街図」金沢玉川図書館近世史料館蔵

 

寛政年間(17891800)に金沢の町は東方44町、西方48町、南方34町、北方32町の東西南北に分割され、小立野新町は南方に属しています。時代は下り文化8年(1811)の金沢絵図名帳には小立野新町の住民一人一人の所在とその職業が明示されている資料があります。絵図には、小立野新町を「ホ」と「へ」に分け、「小立野新町」と「小名かめ坂」の文字が書いてあります。町名帳には、総戸数134軒(天徳院門前の一部を含む)の職業と屋号と名が記されています。

 

「ホ」は組合頭近江屋与右衛門62軒(町人41軒・武家21軒)「へ」は組合頭通屋与左衛門72軒(町人65軒・武家7軒)で肝煎は孫兵衛。職業は町人、日雇、大工・髪結い・おかせ・桶屋・鍛冶等職人、小間物・紺屋・炭・批・味噌・醤油・塩・油・八百屋・四十物・豆腐・笊振・煙草・魚鳥・菅笠・道具・干菓子・古手買・古金・雑穀・煮売り・紙・請酒・酒造・青草等小売、武家は割場付、御細工所付足軽・小者や重臣の家臣や小者など134軒内武家28軒が混在していました。)

 

(文化8年の金沢町名帳より・・・部分加工)

 

幕末に、上・下に分かられていたらしく、明治4年(1871)に小立野上新町と小立野下新町の一部を併せて小立野新町に、明治12年(1879)、上野新村の一部を編入し、昭和39年(19641月、一部が小立野3丁目となり、同年4月、小立野3-4丁目及び一部は石引2丁目となりました。

 

(今の下馬辺り)

(大正の下馬の図・今より石引よりにある)

(今の下馬地蔵、昔より亀坂より)

 

参考ブログ

小立野の古地図めぐり③小立野のこと

https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11900610883.html

小立野の古地図めぐり④亀坂(がめさか)と御小屋坂

https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11902550557.html

 

(つづく)

 

参考文献:「さきうら」過去・現在・そして未来へ 高田慈久 金沢市崎浦公民館 平成14年発行・「小立野共和会百年史」編集・執筆・編集 石田順一 共和会発行ほか


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