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千秋順之助②加賀藩の俊才は次男坊

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【常盤橋→天神橋・旧味噌蔵町】
千秋順之助は、加賀千秋家の分家喜兵衛家(200石)7代宗助範為の次男として生まれます。母は音地克比の娘で、音地家は与力で180石の家でしたが克比の時代に100石が加増になり、280石の組頭になり、隠居して眠水といいました。学問のある人のようで、順之助はこの母方の性質を受け継いだのではないかと思われます。


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(金沢城河北門より菱櫓)


藩政期は、次男坊に生まれたら養子にでも行かない限り、将来の見込みが無かった時代、15歳で入った藩校明倫堂で頭角を現し、やがて江戸遊学を願い、昌平黌に学ぶようになると、その才が認められ、舎長になり幕府から俸を給されます。藩はその才が惜しくなったのか金沢に呼び返しました。


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順之助の広い視野は、その江戸遊学中に身に付いたものと思われますが、金沢に帰ると藩校の助教加入に、安政4年(1857)6月に組外に登り、認められ世嗣慶寧の侍読になり、新知100石、別に職俸50石を給せられ、家禄200石の次男坊としては破格の出世をします。


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(加賀富士(大門山))


順之助は、金沢に生まれた人物としては、珍しく剛直な性格だったといいます。金沢は、昔から、あからさまに自分の意見を言わないのが美徳とされ、藩政初期、百万石の外様大名は、取り潰しに遭わないように、幕府の警戒心を避けるため、藩主は自らを主張するのをやめ、ぶつからないようにしたといいます。


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(世嗣慶寧)


3代藩主利常公は、取り潰しを免れるため、愚かさを装ったと伝えられていることもあり、自分を主張しないのが藩士の気風にも伝わっていたようですが、順之助は、そうした金沢の士風と異なっていたそうです。


“書生ッポ”くて、自由な態度が好感を呼び、順之助に近づく人々を引き付けたといわれていますが、徒党を組んで群れるような人物ではなく、同士的結びつきで党派を作り上げることはなく、その党派的動には賛意を示すものの、仲間として共に行動することもなかったといいます。


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(金沢城菱櫓と五十間長屋)


順之助が漢文で書いた「治穢多之議(エタを治むるの議)」には、明治になってもなかなか表れなかった部落解放論の先駆で、身分差別が当たり前の藩政期に、儒教的平等観に基づいた解放論を主張したもとしては初めてといわれています。


(しかも、この様な文章を書いた人物が、事大主義ともいえる当時の加賀藩にいたことに驚きます。)



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(治穢多之議の漢文)


その識見は”蛤御門の変“の早朝京都を撤退に際して、”家名の疵がつく“”今、帰国すれば加賀藩は永久に卑怯者と笑われる“という当時としては常識とされる声に、順之助は、”本当に勤王の心があれば、今、幕府のいうことを聞き、一途に尊王・攘夷を貫く長州藩を撃ってはいけない!!そうすれば近い将来に順逆を誤ったことになる。せめてこの戦の渦中には誰がなんと言おうと入ってはいけない“と京都を立ち退くべきだと主張したといいます。


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(金沢城石川門)

11代将軍徳川家斉の孫に当たる世嗣慶寧の長州藩に気脈を通じるような行動には、事大主義で幕府に付くことを常識とする老臣たちが激怒し、藩主斉泰公にせまり慶寧に従った者たちの処分を求めます。慶寧の行列が大聖寺藩の小松に着くと、順之助は他の藩臣と藩の役人に迎えられ、長町の竹田掃部の屋敷に預けられることになります。


(世嗣慶寧は謹慎、側近の尊攘派の40名近くは処刑(打ち首、生胴、切腹、遠島など)、加賀藩から尊攘派は一掃されます。)


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(竹田掃部屋敷跡、現聖霊病院)

竹田掃部の屋敷は、今の聖霊病院のところにあって大きな屋敷で、その年の10月18日切腹の命を受けると、介錯の武士に伴われ、まるで茶室に招じられたように、淡々と、しつらえられた部屋に向かったといいます。それは順之助50歳の秋でした。


(没後、明治24年(1891)には靖国神社に合祀され、その年の12月に正五位を贈られました。)


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(千秋喜兵衛家一族の墓地・経王寺)
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(千秋順之助の名が見えます。)

金沢の経王寺には、喜兵衛家墓碑前にある燭台の奉献の文字の下に順之助の名がみえ、過去帳には「聞龍院観智日了居士」と記されているそうですが、今は、東京都府中市の多磨霊園に眠ると聞きます。


参考文献:「加賀千秋家」家譜・奈良本辰也著、歴史読本「人間この劇的なる生涯“千秋藤篤”」など




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