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作庭記と兼六園④

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【兼六園】

4、石と池の関する基本

《原文》又池ならひに島の石をたてんには、当時水をまかせてみんことかなひかたくは、水はかりをすゑしめて、つり殿のすのこしたけたと、水のおもとのあひた、四五寸あらむほとを、はからいて、所々にみきりしるしをたておきて、石のそこへいり、水のかくれんほと、水のおもてよりいてんほとを、あいはからい、へきなり。池の石は、そこよりつよくもたえたるつめいしををきて、たたあけつれは、年をふれとも、くつれたふるることなし。水のひたるときも、なをおもしろくみゆるなり。島ををくことも、はしめよりそのすかたにきりたてて、ほりおきつれは、そのしきしにきりかけきりかけたてつる石は、水まかせてのち、その岸ほとひて、立たる石たもつことなし。たたおほすかたをとりおきて、石をたててのち、次第に島のかたをには、きさみなすへきなり。又池ならひにやり水の尻は、未申(西南)の方へいたすへし。青竜の水を白虎の方へ、出すへきゆへなり。池尻の水をちの横石は、つり殿のしたけたのしたはより、水のおもにいたるまて、四寸五寸をつねにあらしめて、それにすきは、なかれいてんするほとを、はからいて居へき也。

 

(白竜を表す龍石)

(白虎を表す虎石)

 

(また池や島に石を立てるには、水を引くのが困難な場合、水草を据え釣殿のスノコ下桁と水面の間、四五寸位を計り、所々に目盛の印を付けを置いて、石が池の底に入り、水に隠れる度合い、水面から出る度合いを計るべきです。池の石は底から強く支えた積み石を置いて、立てあげ置けば、年数をへても崩れて倒れる心配はなく、水に干しあがった時にも面白くみえるのです。島を置くにも、始めからその形に切り立てて掘って置いた場合、その岸に切りかけ切りかけ立てた石は、水を入れた後で、岸がふやけて、折角立てた石が持ちません。ですから、大雑把に島の形を取っておいて、石を立てたあとで、次第に島の形に刻んで行くべきである。また池や遣水の尻は西南へ出すのが良く、それは青竜の水を白虎へ出すという趣旨です。池尻の水落の横石は、釣殿の下桁の下端から水面まで四五寸ばかり、いつもすかして置くように、そしてそれ以上になれば、流れ出るような程度を計って据えるべきです。中でも庭上に家屋が接近して三尺以上の石を立ててはいけない。もしそれを犯したならば、主人はその家に居住することなく、終わりにはそこは荒廃の地になる。また離れ石は、荒磯の沖や山の先、島の先に立てるべきであるとか聞く。離れ石の根元には、水面に現れない程度に、大きな石を2つ3つ、三鼎に掘り沈めてその中に立てて、詰石を打ち入れるのである。水の流れは青龍から白虎へ、これは風水思想で西南の方角へ出すのが良いという。この良い理由はよく分らないが、池尻の水落ちの横石は、釣殿の下桁の下場より、「水のおもにいたるまで、四寸五寸をつねにあらしめて、それに過ぎれば、流れる程を、計らいておるべきなり。」とあり、釣殿との調和を保ち、かつ水を保つというより、流れ落ちさせるために置かれる石でしょう。)

 

 

(亀頭石を立て直した時支えの積み石がみえます・現在は見えません)

 

兼六園では

最近、霞ヶ池の蓬莱島の亀頭石が倒れ、立て直しをした時の写真では、岸がふやけないように、亀頭石を強く支えるため積み石を置いて立てられています。これなども作庭記の教えによるものなのか!?また、霞ヶ池も瓢池も水の取入口は、西南(未申)にあります。すべての水の流れは東から西に流すのが作庭記の本則で、その代表が曲水です。これは兼六園に限らず加賀藩では村井家、長家、横山家(今の知事公舎)などの庭園はことごとくこの様になっています。遣水(やりみず)は水を塞ぎ水面を高くして庭に流しいれるもので、もっぱら平坦な庭を曲折して面白く流すもので、兼六園は平坦な庭は幅広く曲折しているので“曲水”という、険峻な場所は蓮池庭の、幅細き「白竜湍」となっています。長町の武家屋敷の庭に惣構の堀(鞍月用水)や鬼川(大野庄用水)から曳いた遣水がありますが、藩政期一時禁止されたと書かれています。(加賀藩史料)

 

 

(翠滝の周りの立て石)

 

《原文》凡滝の左右、島のさき、山のほとりの外は、たかき石をたつる事、まれなるへし。なかにも庭上に、屋ちかく三尺にあまりぬる石を、たつへからす。これををかしつれは、あるし居ととまる事なくして、つひに荒廃の地となるへしといへり。又はなれいしは、あいそにおき、山のさき、島のさきに、たつへきとか。はなれ石の根には、水のうえにみえぬほとに、おほきなる石を、両三みつかなえにほりしつめて、その中にたてて、つめ石をうちいるへし。

 

(滝や島の先、山のほとり以外には、高い三尺以上の石は家屋近くに立てるのは主人不在、庭の荒廃を招くという。離れ石も、その際には他の見えない石を、根元に据えて詰めるようにする、と教えています。後の教えはよくわかるが、なぜ大石を家近くに立てたらいけないのか理由がよく分らない、多分ここが大切な部分だと思われます。)

 

(黄門橋・石橋)

(獅子岩)

(白龍湍)

 

兼六園では

瓢池の翠滝や、長谷池の滝には左右役石の代りに、雄雌の2つの滝があります。また、黄門橋(石橋)には、上に役石があり、今年ヒックリ返った霞ヶ池の蓬莱島の亀頭石は厖大な石灰岩があります。どうもこの石灰岩は越前産で、よく似たものが旧脇田家の玉泉園の石灰岩と一緒に福井県から持ってきたものと言われています。作庭記には「屋近く三尺に余る石を立べからず」とありますが、その亀頭石は、元竹澤御殿の築山に有ったもので、その禁忌(してはいけない)に添うものであったのだろうか?

       

5、枯山水事

《原文》一、池もなく遣水もなき所に、石をたつる事あり、これを枯山水となつく。その枯山水の様は、片山のきし、或野筋なとをつくりいてて、それにつきて石をたつるなり。又ひとへに山里なとのやうに、おもしろくせんとおもはは、たかき山を屋ちかくまうけて、その山のいたたきよりすそさまへ、石をせうせうたてくたして、このいゑをつくらむと、山のかたそわをつくし、地をひきけるあいた、おのつからほりあらはれなりける石の、そこかしことこなめにて、ほりのくへくもなくて、そのうゑもしは石のかたかとなんとに、つかわしらをも、きけかけたるていにすへきなり。石をたつることあるへし。但度のおもには石をたて、せんさいをうへむこと、階下の座なとしかむこと、よういあるへきとか。

すへて石は、立る事はしくなく、臥ることはおほし。しかれとも石ふせとはいはさるか。

  石をたつるにはやうをたつるにはやうやうあるへし

 

 

(山崎山の石)

 

(池もなく遣水の無いところに石を立てる(造園)ことでを「枯山水」と言っています。この枯山水様式は、片山の岸やまたは野筋(なだらかな丘陵)などを造り出し、それに取り付けて石を立てるものです。また専ら山里などのように面白くしようと思えば、高い山を家屋近く築き、その山の頂から且つ出裾の方へ石を少々立て下して、この家を造る、為に山の片側の険しい処を崩し、土を取り除いたために自然に掘りあらわせた石が、底深く平らに拡がっていて堀のようでもないから、その上または石の片角などに、束柱をも切かけたという体にすべきです。何物かを手がかりとして、小山のさきや、樹のもとや、束柱のきわ等に取り付けて、石を立てることがある。但し庭面には石を立て、前裁を植えることや、階下の座敷などを敷く事に意を用いるべきであるとか言う。すべて石を立てることは少く、臥せることが多い。けれども石ぶせとは言わないのである。石を立てる様式はいろいろあります。)

 

 

 (栄螺山)

 

(親不知)

 

兼六園では

山の険しい処の末に、土のみ除かれて石の片面があらわに出ている面を”山の片岨(かたそば)と言い、栄螺山の片面霞ヶ池の親不知の場面、山崎山の一面にこの様な処が見られます。土のみ除かれて地面の底から生えている石のみが残っているのがあるから、その石は根強く立てねばならない。山崎山の一面、栄螺山の一面にその様に見える石がこれです。

 

(つづく)

 

参考文献:「兼六園全史」編輯者 兼六園全史編纂委員会・石川県公園事務所  兼六園観光協会 昭和5112月発行「兼六園を読み解く」長山直治著 桂書房 200612月発行


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