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兼六園と作庭記⑥

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【兼六園】

8、立石様(石の置き方、沼の様・葦手の様)

《原文》一、沼様は、石をたつることはまれにして、ここかしこのいり江に、あし、かつみ、あやめ、かきつはたやうの水草をあらしめて、とりたてたる島などはなくて、水のおもてを眇々とみすべきなり。池様といふは、溝の水の入集れるたまり水也。しかれば、水の出入の所あるべからず。水をバおもひがけぬところより、かくしいるべきなり。又水のおもてを、たかくみすべし。

 

(金城池(放生池)のあやめ)

 

(一、沼の様式は、石を立てることはまれで、ここかしこの入江に、あし、まこも、あやめ、かきつばた等の水草を植えて、島などはなくて、水面は果てしなく広く見せるべきです。池の様式は、溝の水が入れ集った溜まり水です。ですから、水の出入の所であってはならないので、水は隠し、思いがけない所から入れるべきです。また水の面は高く見せねばならない。)

 

(金城池(放生池)の水草と睡蓮)

 

兼六園では

まこも、あやめ、かきつばた等の水草を植え、島などはないのに、水面を広く見せている金城池(放生池)は、まさに沼の様式にあてはまるように思われます。平成の梅林も水が入るところは隠されています。

 

(かきつばた、あやめ等やコウホネ、水芭蕉の水草が咲きます)

 

《原文》一、葦手様は、山などたかからずして、野筋のすゑ池のみぎハなどに、石所々たてて、そのわきわきに、ござさ、やますげやうの草うゑて、樹にハ梅柳等のたをやかなる木をこのミうふべし。すべてこのやうハ、ひららかなる石を品文字等にたてわたして、それにとりつきつき、いとたかからず、しげからぬせんざいどもをうふべきとか。

石のやうやうをば、ひとすぢにもちゐたてよとにはあらず。池のすがた地のありさまにしたがひて、ひとついけに、かれこれのやうをひきあハせてもちゐることもあるべし。池のひろきところ、しまのほとりなどにハ、海のやうをまねび、野筋のうへにハ、あしでのやうをまなびなんどして、ただよりくるにしたがふなり。よくもしらぬ人の、いづれのやうぞなどとふハ、いとおかし。 

(野筋の草)

(小笹が見えます)

 

(一葦手の様式は、山など高くしないで、野筋(なだらかに丘陵)の末や池の汀などに石をところどころにたてて、その脇々に、小笹ややますげ等の草を植え、樹には梅柳等のしなやかな木を選んで植えます。すべてこの様式は、たいらな石を品の文字の形等に立てわたして、それに取り付け取り付き、あまり高くなく又あまり茂らない前裁を、植えるべきだという。石の様式をそれ一途に用いたて言っているのではなく、池の姿や土地の有様に随って、一つの池に、あれこれの様式を引き合わせて、用いることも有るはずです。池の広いところや島のほとりなどには、海の様子を学び、野脇の上には、芦手の様子を学びなどして、ただ場所によるのである。よく知らない人がどの様式などと言うのは滑稽です。)

 

(金沢神社の神橋・上流に水の取入口があります。)

(山崎山下木の陰に辰巳用水取入口があります。)

 

兼六園では

ここは金城池(放生池)があてはまります。この池は昔から幾度も作り変えた形跡があり、古地図では、現在2倍位あるときもあり、又、全く無く陸地のみの時代もありました。しかしながら、池はなくとも水は流れていたことは確かです。金城池の水の取入口は金沢神社神橋の上流より隠し入れてあり、また、さすが溝の水の溜まり水の如く見せる様にして、水の出口を見えない様にして地下に埋めてあります。また往昔の瓢池はその名(蓮池庭)の通り、蓮が植えてあり、水の入口を明らかにしていない。一方曲水の山崎山の取入口は、梢が広がる処の入るように、隠し入れる様にしてあり、この点も水の取入口を隠し入れる項の模倣した例といわねばならない。

 

(つづく)

 

参考文献:「兼六園全史」編輯者 兼六園全史編纂委員会・石川県公園事務所  兼六園観光協会 昭和5112月発行「兼六園を読み解く」長山直治著 桂書房 200612月発行


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