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作庭記と兼六園⑦

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【兼六園】

9、池河のみぎはの様々をいふ事

《原文》鋤鉾鍬形。池ならびに河のみぎはの白浜は、すきさきのごとくとがり、くわがたのごとくゑりいるべきなり。このすがたをなすときは、石をバうちあがりてたつべし。

池のいし□海をまなぶ事なれバ、かならずいはねなみがへしのいしをたつべし。

(訳:鋤(すき)(ほこさき)(かま)形。池ならびに河の汀の白浜は、鋤(すき)先のように尖り、鍬(かま)形のように刻み込むべきで、この姿を作る時には、石を汀から離して立てねばならない。池の石は、海を学ぶので、必ず岩根の浪隠しの石を立てるべきです。)

 

(霞ヶ池に浮かぶ蓬莱島)

 

兼六園では

この項の場所は、兼六園では極めて少ない。蓬莱島の形は亀になぞらえていて別名亀甲島とも云います。これは唐より伝わる神仙思想を強調したもので、理想の土地を彼岸とする仏教思想にも通じるものです。兼六園の蓬莱島は、かって竹澤御殿の築山だったもので、霞ヶ池を拡大した際、大海に浮かぶ蓬莱孤島を模したものと聞いていますが、亀になぞらえてあるので亀頭の形の岩根浪返し石が立っています。他に浪返し石としては、内橋亭下より親不知、譲り葉の辺りに多くあります。曲水の月見橋下は両岸殆ど石がなく、砂岸に社若(かきつばた)だけが生えているように見えます。これは池河の汀の様子を現しているように思われます。

(月見橋)

(月見橋のしも)

(赤丸が、竹澤御殿の築山、ここ辺りが今の蓬莱島)

 

10、嶋姿の様々をいふ事

《原文》山嶋、野嶋、杜島、礒島、雲形、霞形、洲浜形、片流、干潟、松皮等也

一、山しまは、池のなかに山をつきて、いれちがへかへ高下をあらしめて、ときは木をしげくうふべし。前にハしらはまをあらせて、山ぎハならびにみぎハに、石をたつべし。

(訳:山島、野鳥、牡鳥、磯島、雲形、霞形、洲浜形、片流、干潟、松皮等である。

一山島は、池の中に山を築いて、入れ違い入れ違いに高低を造って、常磐木を沢山植え。前には白浜を設けて、山ぎわや汀に、石を立てます。)

 

(蓬莱島の対岸の州浜を模した岸辺)

 

兼六園では

山島は、他の名勝では多い場所ですが、兼六園では霞ヶ池の東に台木を並べ川石が入り州浜が作られています。庭園には、州浜形を多く取り入れた庭と、そうではなく巨岩が険しくそびえ立つ庭と、そしてこの両方を折衷した庭がありますが、兼六園にはこの取組が少ないようです。そもそも州浜とは海中に突き出た州の有る浜です。

 

 

(平成の造成の梅林・作庭記にある州浜を模す)

 

《原文》一、野嶋は、ひきちがへかへ野筋をやりて、所々におせばかりさしいでたる石をたてて、それをたよりとして、秋の草などをうゑて、ひまひまにハ、こけなどをふすべきなり。これもまへにハ、しらはまをあらしむべし。 

(訳:一、野島は、引き違い引き違いに、野筋(なだらかな丘陵)を作って、所々に背だけを表わした石を立て、それをよりどころとして秋草などを植えて、隙間々々には苔などを伏せ、ここも前には白浜を設けるのです。)

 

(西側より望む蓬莱島・燈籠が亀のシッポを模す)

 

兼六園では

野島は、霞ヶ池蓬莱島の1部で見られ、よく見るとなだらかな丘陵の所々に背たけを表わした石や燈籠を立て、それをよりどころとして草などを植えて、隙間々々には苔などを伏せてあります。

 

《原文》一、杜しまは、ただ平地に樹をまバらにうゑみてて、こしげきに、したをすかして、木のねにとりつきつき、めにたたぬほどの石を、少々たてて、しばをもふせ、すなごをも、ちらすべきなり。

(訳:一、杜島は、ただ平地に樹をまばらに植えつくして、繁った杜の下をすかして、木の根に取りつき取りつき目立たない程の石を少々立て、芝もふせ、また、砂をも散らすべきです。)

 

(兼六園には島は少ない・鶺鴒島)

 

兼六園では

杜島は、鶺鴒島で見かけます。鶺鴒(せきれい)は日本書紀のイザナギ、イザナミの尊に男女和合の道を教えた鳥といわれ、藩政期、大名家は世継ぎが絶えるとお家断絶ということもあり子孫繁栄が最大の関心事だった事によるものとも言われていますが、島は平地に近く、島は人間の一生が表現されているといわれ人生の三儀式である「誕生」「結婚」「死」をそれぞれ「陰陽石」「相生の松」「五重の石塔」で表し、配置されていて、別名「夫婦島」ともいうそうですが、他では余り見かけない珍しい構成だそうです。松などの樹木はまばらに植えられています。

 

《原文》一、磯しまは、たちあがりたる石をところどころにたてて、その石のこはんにしたがひて、浪うちの石をあららかにたてわたして、その高石のひまひまに、いとたかからぬ松の、おひてすぐりたるすがたなるが、みどりふかきを、ところどころうふべきなり。

(訳:一、磯島は、直立した石を所々に立て、その石の湖畔に随って、浪打の石を荒く立て渡して、その高石の間々には、あまり高くない松で、年数を経、姿がすぐれており、緑深いものを所々に植えるべきです。)

 

 

(瓢池の岩島(鶴亀島))

 

兼六園では

磯島は、この項には島が瓢池に浮かぶ岩島(鶴亀島)があります。島は不老長寿の島神仙島をかたどった三つの島の内の一つで、この岩島は瀛州(えいしゅう)を模したもので、松が鶴の羽のように植えられています。

 

(つづく)

 

参考文献:「兼六園全史」編輯者 兼六園全史編纂委員会・石川県公園事務所  兼六園観光協会 昭和5112月発行「兼六園を読み解く」長山直治著 桂書房 200612月発行

 


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