11、島姿の様々をいう事
《原文》一、雲がたハ、雲の風にふきなびかされて、そびけわたりたるすがたにして、石もなく、うゑ木もなくて、ひたすらすにてあるべし。
(訳:一、雲形は、雲が風に吹きなびかされて、たなびき渡った姿で、石もなく植木もなくて、一面に白州であるべきです。)
《原文》一、霞形ハ、池のおもてをみわたせば、あさみどりのそらに、かすミのたちわたれるがごとく、ふたかさね三かさねにもいれちがへて、ほそぼそと、ここかしこたぎれわたりみゆべきなり。これも、いしもなくうゑきもなき白洲なるべし。
(訳:一、霞形は、池の面を見渡すと、浅みどりの空に、霞の立渡った様に、二がさね三がさねにも入れちがへて、細々とここかしこがとぎれ渡って見えねばならない。これも、石もなく植木もない白州であるべきです。)
(蓬莱島の対岸の州浜)
《原文》一、洲浜がたはつねのごとし。但ことうるわしく紺の文などのごとくなるはわろし。おなじすわまがたなれども、或ハひきのべたるがごとし、或ハゆがめるがごとし、或せなかあハせにうちちがへたるがごとし、或すはまのかたちかとみれども、さすがにあらぬさまにみゆべきなり。これにすなごちらしたるうゑに、小松などの少々あるべきなり。
(訳:一、洲浜形は、普通の洲浜の様にそます。但しあまりきちんと紺の紋などの様になるのは宜しくない。同じ洲浜形であるけれども、或はひきのばした様に、或はゆがめた様に、或は背中合せにうちちがえた様に、或は洲浜の形かと見えるけれども、やはりそうではない様に見えなければならない。これに砂をちらした上に、小松などを少々植えるがよい。)
(片流?沼は春から初夏にかけて杜若が)
(沼に初夏には杜若が咲きます)
《原文》一、片流様ハ、とかくの風流なく、ほそながに水のながしをきたるすがたなるべし。
(訳:一、片流様は、あれこれの風情もなく、細長に水を流し置いた姿です。)
(氷室跡が干潟?)
《原文》一、干潟様ハ、しほのひあがりたるあとのごとく、なかバハあらハれ、なかバハ水にひたるがごとくにして、おのづから石少々みゆべきなり。樹ハあるべからず。
(訳:一、干潟様は、潮の干あがった跡の様に、半ばはあらわれ、半ばは水に浸った様にして、自然に石が少々見えますが、樹はあってはいけない。
《原文》一、松皮様ハ、まつかはずりのごとく、とかくちがひたるやうにて、たぎれぬべきやうにみゆるところあるべきなり。これハ石樹ありてもなくても、人のこころにまかすべし。
(訳:一、松皮様は、まつかわずりの様に、とかく喰違った様で、とぎれそうに見える所があるべきで、これは石や樹があってもなくても、人の心にまかせるのです。)
(小立野口から入ると鶺鴒島が、その右側にある島)
兼六園では
この項は、日本の他の名勝に最も多い場所と聞いていますが、兼六園には少なく、雲形や霞形のような、一面が白州を模した所は殆どありません。しかし、昔の写真によると僅かに蓬莱島の汀の一部にあるらしいのが、今は霞ヶ池が水嵩を増し州浜が水に浸ったため見ることが出来ませんが、対岸の一画にその趣が残っています。
(蓬莱島の対岸の州浜)
大体、自然の州浜はいろいろと変化に富んだ事例もありますが、庭園に取り入れるのに極端な変化を好まず単調なものを好としているそうです。また、兼六園では、平成に造成された梅林や時雨亭がありますが、造成に際し、「作庭記」をよく研究され造られたことが窺えます。新しい間は、ワザとらしさが目立っていましたが、造成から30年も経ち、最近では趣も出て来て、私には、それらしく見える様に思えます。
(鶺鴒島のすぐ隣りの草の島)
(鶺鴒島の隣りの島、浪隠しの石か?)
他、片流様は、幾つか思い当るところもありますが、干潟様、松皮様については、潟や沼の様式のように思われますが、兼六園では、見逃しているのか?よく分りません。もし、ご存知の方がいらっしゃいましたら、お教え戴ければ幸いです。
(つづく)
参考文献:「兼六園全史」編輯者 兼六園全史編纂委員会・石川県公園事務所 兼六園観光協会 昭和51年12月発行「兼六園を読み解く」長山直治著 桂書房 2006年12月発行