【兼六園】
12、一、滝を立る次第
《原文》滝をたてんには、先水をちのいしをえらぶべきなり。そのみづおちの石ハ、作石のごとくにして、面うるわしきハ興なし。滝三四尺にもなりぬれバ、山石の水をちうるわしくして、面くせばミたらむを、もちゐるべきなり。但水をちよく面くせバみたりといふとも、左右のわき石よせたてむに、おもひあふ事なくは、無益なり。水溶面よくして、左右のわきいしおもひあひぬべからむ石をたておほせて、ちりばかりもゆがめず、ねをかためてのち、左右のわき石をバ、よせたてしむべき也。その左右のわきいしと水落の石とのあひだハ、なん尺何丈もあれ、底よりいただきにいたるまで、はにつちをたわやかにうちなして、あつくぬりあげてのち、石まぜにただのつちをもいれて、つきかたむべきなり。滝ハまづこれをよくよくしたたむべきなり。そのつぎに右方はれならば、左方のわきいしのかみにそへて、よき石のたちあがりたるをたて、右のかたのわきいしのうゑに、すこしひきにて、左の石みゆるほどにたつべし。左方はれならば、右の次第をもちて、ちがへたつべし。さてそのかみざまは、ひらなる石をせうせうたてわたすべし。それもひとへに水のみちの左右に、やりみづなどのごとくたてたるはわろし。
ただわすれざまに、うちちらしても、水をそばへやるまじきやうを、おもはへてたつべきなり。中石のをせさしいでたる、せうせうあるべし。次左右のわき石のまへによき石の半ばかりひきをとりたるをよせたてて、その次々は、そのいしのこはんにしたがひて、たてくだすべし。滝のまヘハ、ことのほかにひろくて、中石などあまたありて、水を左右へわかちながしたるが、わりなきなり。その次々ハ遣水の儀式なるべし。滝のおちやうハ様々あり。人のこのミによるべし。はなれをちをこのまば、面によこかどきびしき水落の石を、すこし前へかたぶけて居べし。
つたひおちをこのまば、すこしみづおちのおもてのかどたふれたる石を、ちりばかりのけばらせてたつべきなり。つたひおちハ、うるわしくいとをくりかけたるやうに、おとす事もあり。二三重ひきさがりたる前石をよせたてて左右へとかくやりちがへて、おとす事もあるべし。
(兼六園のパンフレットより)
(訳:滝をたてるには、第一に水落の石を選らばねばならない。その水落の石は、作り石の様に面の滑かなのは面白味がない。滝が三四尺にもなれば、出石の水落が美しくて、面の癖づいたものを用いるべきです。但、水落がよくて面がよく癖づいていても、左右の脇石をよせ立てるのに釣合わなければ、無益です。水落の面がよくて、左右の脇石も釣合いそうな石を立て終えたら、少しもゆがめずに根元をかためてから、左右の脇石をよせ立てさせます。その左右の剛石と水落の石との間は、何尺何丈あっても、底から頂きまで、埴土をやわらかに打ちこしらえて、厚く塗りあげてから、石まぜにただの土も入れて築き固めるべきです。
(翠滝のアップ)
滝は第一にこれをよくよく用意すべきで、その次に、右方が上座であれば、左方の脇石のかみに添へて、よい石の直立したのを立て、右の方の脇石の上に、少し低く左の石が見える程度に立てよ、左方が上座ならば、右の次第で反対に立てるのです。さてその上の方は平らな石を少々立て渡し、それも専ら水のみちの左右に、遣水などの時の様に立てたのはよくない。ただ忘れた様に散らして立てても、水をそばへはやらない様に考えて立てなければならない、中行の背の出たものも少々あってよい。次に左右の脇石の前に、よい石の半はほど低い石をよせ立て、その次には、その石の望むにしたがって、立て下すのです。滝の前は殊の外に広く、中石など数多くあって、水を左右へ分けて流したのが格別よい。その次には、遣水の儀式が宜しいであろう。滝の落ち方は種々あって、人の好みによります。はなれ落ちを好むならば、面に横かどのきびしい水落の石を、少し前にかたむけて据えるのです。伝い落ちを好むならば、少し水落のおもての角の欠けた石を、少しばかり仰向かせて立てるがよい。伝い落ちは、整然と糸をくりかけた様に落すこともある。又二三重に低い前石をよせたてて、左右へあれこれやりちがえて落すこともあります。
(夜のライトアップ)
兼六園では
この項は、滝造りの経験に基づく技術的な事が書かれています。多分、兼六園の滝はこれに習い造られたもと思われますが、やったことのない私には“そうなんだ!!”と言わざるを得ません。兼六園にある小立野の高台は、板屋兵四郎の辰己用水により藩政期初期に水を引くことに成功し、兼六園には滝が幾つかあり、高低何れも自由です。中でも翠滝は日本屈指といわれる雄大なもので、滝への流れは霞が池から瓢池東北に落下する高さ6.6m、幅1.6mの大滝です。
(翠滝の水源は辰巳用水→霞ヶ池)
(霞ヶ池より遣水へ)
(遣水)
(翠滝上)
(翠滝)
安永三年(1774)に11代治脩公のよって改修されます。起伏に富んだ自然の地形を生かした滝は、観る滝であると同時に音を聞いて楽しむ工夫がなされています。滝壺はなく布落ちで、一度落下した水は石に当たって砕け広がり、瓢池に注ぎ落ちる仕掛けで、水量豊富で滝音も大きく、荘厳さは他の庭には見られない規模で人工の滝とは思えない見事さです。
(瓢池より翠滝)
治脩公の改修前は、七瀬滝と云ったらしく、滝の上には、今、黄門橋にある自然石の獅子岩があったそうです。治脩公の計画は中島御亭(滝見御亭・今の夕顔亭)の新設と滝の改修でした。しかし、滝の改修中の視察で“幅はよいが、水量が少なく、滝壺がないため滝の音がよくない”と意に染まなかったため工事のやり直しを命じます。そこで庭師は、石を下から積み上げていたのをやめ、大石を上から落とし自然に積み上げ、水を流すと以前より滝音が良くなるなど、庭師が手を尽くし二十日後、治脩公は「凡ソか程大キナル滝ハいまた不見位也」と云っています。
(瓢池の小滝)
また、翠滝は兼六園の中でも大規模な石組みがなされている場所で、滝付近は奥深くて、渓谷風に多くの石が組まれています。滝口の左右は巨石を配した力強い石組みで、豊富な水量を生かした自然風の趣であり庭園にある人工の滝とは思えないほど雄大で荘厳な姿は、四季のうつろいを楽しむことができるのも翠滝の魅力です。
(つづく)
参考文献:「兼六園全史」編輯者 兼六園全史編纂委員会・石川県公園事務所 兼六園観光協会 昭和51年12月発行「兼六園を読み解く」長山直治著 桂書房 2006年12月発行 「兼六園歳時記」下郷稔著・能登印刷出版部 平成5年3月発行