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作庭記と兼六園-上-⑪

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【兼六園】

14、一、滝のおつる様々をいふ事

 向落、片落、伝落、離落、稜落、布落、糸落、重落、左右落、横落

むかひをちは、むかひて、うるわしくおなじほどにおつべきなり。かたおちは、左よりそへておとしつれバ、水をうけたるかしらあるまへ石の、たかさもひろさも、水落の石の半にあたるを、左のかたによせたてて、その石のかしらにあたりて、よこざまにしらミわたりで右よりおつるなり。つたひおちは、石のひだにしたがひて、つたひおつるなり。はなれおちハ、水落に一面にかどある石をたてて、上の水をよどめずして、はやくあてつれバ、はなれおつるなり。そばおちは、たきのおもてをすこしそバむけて、そばをはれのかたよりみせしむるなり。布をちは、水落におもてうるわしき石をたてて、滝のかみをよどめてゆるくながしかけつれバ、布をさらしかけたるやうにみえておつるなり。糸おちは、水落にかしらにさしいでたるかどあまたある石をたてつれバ、あまたにわかれて、いとをくりかけたるやうにておつるなり。重おち水落を二重にたてて、風流なく滝のたけにしたがひて二重にも三重にもおとすなり。

 

(百間堀往来の広坂に近い側に有る滝)

(百間堀往来の広坂口(藩政期には坂下門)

 

(訳:向落、片落、転落、離落、稜落、布落、糸落、重落、左右落、横落。

向落は、正面に向って整った形に同じ様に落すべきです。片落は、左からそえて落したならば、水を受ける頭のある前石で、高さも広さも、水落の石の半分にあたるものを、左の方によせ立てるならば、その石の頭にあたって、横の方に白み渡って、左から落ちるもので、伝い落は、石の壁に従って落ちます。離れ落は、水落に一面に角のある石を立て、上の水を淀めないで早くあてれば、離れて落ちます。稜落は、滝のおもてを少し脇に向けて、稜を上座の方から見せ、布落は、水落におもての滑らかな石を立てて、滝の上を淀ませ、ゆるく流しかければ、布を晒しかけた様に見えて落ちます。糸落は、水落に頭にさし出た角の数多くある石を立てたてば、沢山に分れて、糸を繰りかけたように落ちます。重落は、水落を二重に立てて、別段技巧を用いないで、滝の丈に従って、二重にも三重にも落すのです。)

 

(華厳の滝)

(白山の姥滝)

 

兼六園では

この項は「兼六園全史」の解説によると、滝の落ちる様子を見て名づけたもので、翠滝“向落”と云っています。また、瓢池から百間堀往来(旧坂下門→石川橋→紺屋坂)に落ちる2つの滝も“向落”で、作庭記には「うるわしく同じ程に落べきなり」と理解されていますが、それは、“ドーと一挙に落下して雑音が入らない滝“だと云う事らしく、那智の滝華厳の滝もこれに属しているそうです。この滝の落ちる音は、人生のおける長寿の本質を捉えているように聞こえ、加賀宝生の謡曲では、一音でよどみが無く謡うのを”華厳の滝の落ちるように謡え”と云うそうです。これは水量が多い事によるものですが、水量が少なければその様な音にならないのは当然です。しかし、水落の頭の石の格好によって変化する事もあると云われています。

 

(ドーと一挙に落下する翠滝)

(ドーと一挙の落下する翠滝の下、百間堀往来の滝)

 

糸落、左右落、は水量によって変化するもではありません。例えば白山蛇谷の「姥滝」は作庭記に書かれている“糸滝”に属しているが、四季を通じて変わらないと書かれています。

 

(滝ではないが、琴に糸を模した虹橋の瀬落とし)

(番外・藩政期に有った兼六園山崎山から内惣構に落とす滝)

 

 

(つづく)

 

参考文献:「兼六園全史」編輯者 兼六園全史編纂委員会・石川県公園事務所  兼六園観光協会 昭和5112月発行「兼六園を読み解く」長山直治著 桂書房 200612月発行 「兼六園歳時記」下郷稔著・能登印刷出版部 平成53月発行


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