【兼六園】
15、二、滝のおつる様々をいふ事
《原文》或人云、滝をバ、たよりをもとめても月にむかふべきなり。おつる水にかげをやどさしむべきゆへなり。滝を立ることは口伝あるべし。からの文にもみえたる事、おほく侍るとか。不動明王ちかひてのたまはく、滝ハ三尺になれバ皆我身也。いかにいはむや四尺五尺乃至一文二丈をや。このゆへにかならず三尊のすがたにあらハる。左右の前石ハ二童子を表するか。
不動儀軌云、
見我身者 発菩提心 聞我名者 断悪修善 故名不動云々
我身をみばとちかひたまふ事ハ、必青黒童子のすがたをみたてまつるべしとにハあらず。常滝をみるべし、となり。不動種々の身をあらハしたまふなかに、以滝本とするゆへなり。
(兼六園虹橋の分流から噴水に至る遣水の小滝)
(訳:或人が言うには、滝はたよりをもとめても月に向うべきで、それは落ちる水に月影を宿らせる為です。滝を立てる事に就いては口伝があり、中国の書物にも記されていることが、多いと言うことです。不動明王が誓って言われるには滝は三尺になれば皆我が身です。四尺五尺乃至一丈二丈になれば勿論の事で、この訳で必ず三尊の姿にあらわれるのです。左右の前石は二童子を表すのであろうか。不動儀軌に云うには、見我身者。発菩提心。聞我名者。断悪修善。故名不動云々。我が身を見ればと誓い給うことは、必ずしも青黒童子の姿を見たてまつれというのではなく、常に滝を見よということです。それは不動が種々の身をあらわし給う中に、滝を以て本とするからです。)
(不動明王:密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている。 五大明王の一員である、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王らと共に祀られる。不動三尊とは、不動明王の左右に矜羯羅童子・制多迦童子を配した仏像・仏画の構図である。)
(見我身者。 発菩提心。 聞我名者。断悪修善 聴我説者。 得大智恵。 知我心者。 即身加持。は不動明王の本誓を述べた仏の功徳をほめたたえる詩、山伏の祈祷の定型でお経ではなく修験道において独自に創作されたもののようです。)
兼六園では
滝を立てるには中国の書物に記されている口伝があります。月の向かうベきで、落ちる水に月影が見えなければならない。(兼六園翠滝は月に向かっていない)不動明王は、滝は3尺あればみな我が身で、大きくなればなるほど皆我だと云ったと伝えられています。
熊野の那智も日光の華厳も岐阜の養老も信仰で成り立っています。ですから付近に神社仏閣が寄り添うように存在し、那智は熊野那智大社、華厳には日光山中禅寺、養老には養老神社があります。北陸では立山の称名滝、医王山の三蛇ヶ滝が行者の修行場になっていました。
(医王山の三蛇ヶ滝)
口伝は、兼六園の翠滝にもその形跡が残っていて、対岸の日暮橋の袂の海石塔(十三重の塔の変形)が密教の口伝を生かし、脇の傘亭を配しているのは神仙思想に習い立派人物の憩いの場を演出しています。また、竹澤御殿に勤めた寺島応挙の収集した金子雪操筆「蘭亭曲水図」にも翠滝下によく似た絵が描かれています。夕顔亭の邯鄲手水鉢(伯牙断琴の手水鉢)など、滝に配する密教伝説は「作庭記」の約束が守られています。
(翠滝の岩組)
(寺島蔵人が収集した「蘭亭曲水図」の部分)
(寺島家の所蔵品図録)
(海石塔:昔、朝鮮出兵の際、加藤清正が持ち帰ったものを後に豊臣秀吉が、前田利家公に贈ったという説もありましたが、灯篭の石材の全てが地元産(青戸室、坪野石等)という事が分りました。近年、研究者の調査で、元は十三重の塔で、玉泉院丸の有った物で、利常公が小松城に半分の七重の塔を据え、明治になりその七重の塔が能美市寺井の奥野八幡神社に移された物だそうで、海石塔はその十三重の塔の六重分で、明治になり玉泉院丸より移されたものか?本来、塔は三重とか五重など重ねは奇数。偶数の六重は有り得ないのだという。)
(海石塔)
(邯鄲手水鉢(かんたんちょうずばち):この手水鉢は2つの伝説があり、一つ「伯牙断琴の手水鉢」は、自らの琴の音を最も理解した友人の死を嘆き、「一生琴を奏でない」と誓った名手伯牙が琴を枕にし、横になる姿が浮き彫りにされている説が有名ですが、もう1つの邯鄲手水鉢は、能の曲名で、物語は蜀の国の若者(盧生)が人生に疑問を持ち、仏道の師を求めて羊飛山へ赴く途中、邯鄲(かんたん)の里で雨宿りをし、宿の女主人が、不思議な枕を勧められ昼寝をすると楚国の帝の使が来てその若者を起こし、譲位の勅を伝え、都へ導かれて帝に即位した若者(盧生)は満ち足りた栄華を味わうというお話です。即位50年の酒宴では舞童の舞を見て、自分も立って舞い興じるが、それはすべて夢の中の出来事で、宿の寝台に寝ていたのだったというお話。)
(邯鄲手水鉢(伯牙断琴の手水鉢)
拙ブログ
夕顔亭②露地
(つづく)
参考文献:「兼六園全史」編輯者 兼六園全史編纂委員会・石川県公園事務所 兼六園観光協会 昭和51年12月発行 「兼六園を読み解く」長山直治著 桂書房 2006年12月発行 「兼六園歳時記」下郷稔著・能登印刷出版部 平成5年3月発行 「武家屋敷寺島蔵人邸跡所蔵品録」財団法人金沢市文化財保存団 平成7年3月発行