【兼六園】
16、遣水事
《原文》一、先水のみなかみの方角をさだむべし。経云、東より南へむかへて西へながすを順流とす。西より東へながすを逆流とす。しかれバ東より西へながす、常事化。又東方よりいだして、舎屋のしたをとおして、未申方へ出す、最吉也。青竜の水をもちて、もろもろの悪気を白虎のみちへあらひいだすゆへなり。その家のあるじ疫気悪瘡のやまひなくして身心安楽寿命長遠なるべしといへり。
四神相応の地をえらぶ時、左より水ながれたるを、青竜の地とす。かるがゆへに遣水をも殿舎もしハ寝殿の東より出て、南へむかへて西へながすべき也。北より出ても、東へまわして南西へながすべき也。経云、遣水のたわめる内ヲ竜の腹とす、居住をそのハらにあつる、吉也。背にあつる、凶也。又北よりいだして南へむかふる説あり。北方ハ水也。南方ハ火也。これ陰をもちて、陽にむかふる和合の儀歟。かるがゆへに北より南へむかへてながす説、そのりなかるべきにあらず。
水東へながれたる事ハ、天王寺の亀井の水なり。太子伝云、青竜常にまもるれい水、東へながる。この説のごとくならば、逆流の水也といふとも、東方にあらば吉なるべし。
(現在の七福神山)
(江戸時代末期の七福神山・当時は竹澤御殿書院の庭)
(訳:一、先水のみな上の方角を定める。書物で云うには、東より南へ向かい、西へ流すのが順流です。西より東へながすを逆流とします。よって東より西へ流すのが常とする。また、東方より出だして、舎屋の下を通り、未申(ひつじさる・西南)方へ出すのが最も好とする。青竜の水で、諸々の悪気を白虎の道へ洗い出すといわれている。その家の主の疫気悪瘡の病を無くし、身心安楽寿命長遠なるという。
(四神相応図)
四神相応の地を選ぶとき、左より水が流れのは青竜の地とし、かるがゆへに(それゆえに)遣水をも殿舎もしくは寝殿の東より出て、南へ向い西へ流すべきで、北より出ても、東へ廻して西南へ流す。書物で云うには、遣水のたわめる内を竜の腹とし、居住をその腹にあつるのを吉とする。背にあつるのを凶とする。また、北より出して南へ向う説あり。北方は水で、南方は火です。これ“陰”を持ちて、“陽”に向うる和合の儀かな。かるがゆへに(それゆえに)北より南へ向へて流す説、その理なかるべきにあらず。
水東へ流れたる事は、天王寺の亀井(四天王寺の中心伽藍の中にも龍が棲むという”龍の井戸”伝説)の水なり。太子伝(聖徳太子の伝記)で云う、青竜常にまもれる霊水は東へ流れる。この説の如くならば、逆流の水也といふとも、東方にあれば吉である。)
(青龍を象徴する竜石)
(曲水の竜の目)
四神相応(しじんそうおう):東アジア・中華文明圏において、大地の四方の方角を司る「四神」の存在に最もふさわしいと伝統的に信じられてきた地勢や地相のことをいいます。四神の中央に黄竜や麒麟を加えたものが「五黄」と呼ばれています。ただし現代では、その四神と現実の地形との対応付けについて、中国や朝鮮と日本では大きく異なっています。
(曲水より鑓水への分流、取り入れ口)
(鑓水の小滝)
(鑓水の流れ翠滝へ)
鑓水(やりみず):庭園などに水を導き入れて作った流れ。曲水:庭園または林、山麓(さんろく)をまがりくねって流れる水で、ごくすいとも云う。曲水の宴:水の流れのある庭園などでその流れのふちに出席者が座り、流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み、盃の酒を飲んで次へ流し、別堂でその詩歌を披講するという行事で、略して曲水、曲宴ともいう。因みに兼六園では行なわれた記録は見当たりません。
(板橋)
兼六園では
遣水は、東より発して西へ流すのを本則としています。兼六園では、辰己用水が山崎山下から入り土橋から西に向かい鶺鴒島から花見橋をくぐり板橋に至り北東に向かい七福神山の雪見橋から月見橋そして虹橋を経て霞ヶ池の注ぐ曲水(遣水)と、月見橋と板橋の中間から曲水の分流が暗渠になり成巽閣裏門辺りの地下を流れ、崖下で小滝になり、遣水が続きます。(加賀では西より東に流れる川を逆川(さかさかわ)と言っています。)
(雁がね橋(亀甲橋)
(木橋)
(木橋と月見橋の間にあった姫小松(五葉松)現在は枯れて無い)
(雪見橋から亀甲橋、木橋、月見橋、虹橋まで)
黄門橋白龍端の末流は右折れして三芳庵の本館の下を通り、未申(西南)の方に流れ下ります。金沢は日本海側ですから流れは東から発し西に下りますが、関東の芝離宮の鑓水も「作庭記」で云う伝統を重んじて東から西に流れています。
(白龍端の黄門橋)
(流れは三芳庵の下は入る)
(三芳庵の地下を流れ)
(流れは三芳庵本館下より瓢池へ)
岡倉天心は、「日本の庭園は自然そのままの姿を写し取ったかのようなものがほとんどですが、西欧の庭園の特徴はシンメトリーに木を刈りこんだり花を植えるなどして徹底的に自然に逆らい手を入れている点にあります。自然に寄り添う庭と対峙する庭とでもいったところでしょうか。」といっています。
(白龍端下の夕顔亭と瓢池に望む三芳庵水亭)
(つづく)
参考文献:「兼六園全史」編輯者 兼六園全史編纂委員会・石川県公園事務所 兼六園観光協会 昭和51年12月発行「兼六園を読み解く」長山直治著 桂書房 2006年12月発行 「兼六園歳時記」下郷稔著・能登印刷出版部 平成5年3月発行