【兼六園】
18、
《原文》一、水路の高下をさだめて、水をながしくだすべき事ハ、一尺に三分、一丈に三寸、十文に三尺を下つれバ、水のせゝらぎながるゝこと、とゞこほりなし。但値すゑになりぬれバ、うるハしきところも、上の水にをされてながれくだる也。当時ほりながして水路の高下をみむことありがたくハ、竹をわりて地にのけざまにふせて、水をながして高下をさだむべき也。かやうに沙汰せずして、無左右く屋をたつることは、子細をしらざるなり。水のミなかみ、ことのほかにたかゝらむ所にいたりてハ、沙汰にをよばず。山水たよりをえたる地なるべし。道水ハいづれのかたよりながしいだしても、風流なく、このつまかのつま、この山かの山のきはへも、要事にしたがひて、ほりよせよせおもしろくながしやるべき也。
南庭へ出すやり水、おほくハ透渡殿のしたより出テ西へむかへてながす、常事也。又北対よりいれて二棟の屋のしたをへて透渡殿のしたより出ス水、中門のまへより池へいる〓常事也。
(時雨亭の新しい鑓水)
(山崎山下の辰巳用水取り入れ口・曲水(鑓水)の入口)
(訳: 一、水路の高下を定めて、水を流し下すことは、一尺に三分、一丈に三寸、十文に三尺を下つれば、水はセセラギを流れは滞こうりがない。しかし流れたの末流は、麗しきところも、上の水に押されて流れくだります。当時、堀を流して水路の高下を見向くことありがたくは、竹をわりて地にのけざまにふせて、水をながして高下を定めつべきで。かような内容は内密にせず、無左右く屋を建てることは、子細をしらざるなり。水の皆上、ことの他に高からむ所にいたりては、沙汰にをよばず。山水にたよりを獲たる地なるべし。道水はいづれのかたより流し出だしても、風流なく、このつまかのつま、この山かの山のきはへも、要事に従がひて、ほりよせよせ面白く流しやるべきです。
南庭へ出すやり水、多くは透渡殿の下より出て西へ向かえて流す、当たり前の事です。又北対よりいれて二棟の屋の下をへて透渡殿の下より出す水、中門の前より池へ入るのが当たり前の事です。)
(白龍端の上から下の流れ)
兼六園にて
兼六園の蓮地庭を流れる「白龍端」は、「急勾配で、そのせせらぎの音は、琴の調べに似ている」と云われていますが、その下流には、夕顔亭があり、その夕顔亭の別名は「聴琴亭」と云われたのもこの辺から来ているのでしょうか?
(夕顔亭)
19、
《原文》遣水の石を立る事は、ひたおもてにしげくたてくだす事あるべからす。或透廊のしたより出る所、或山鼻をめぐる所、或池へいるる所、或水のおれかへる所也。この所々に石をひとつたてゝ、その石のこはむほどを、多も少もたつべき也。
遣水ニ石をたてはじめむ事ハ、先水のおれかへりたわみゆく所也。本よりこの所に石のありけるによりて、水の、えくづさずしてたわミゆけバ、そのすぢかへゆくさきハ、水のつよくあたることなれバ、その水のつよくあたりなむとおぼゆる所に、廻石をたつる也。すゑざまみなこれになずらふべし。自余の所々はた〓わすれざまに、よりくる所々をたつる也。とかく水のまがれる所に、石をおほくたてつれバ、その所にて見るハあしからねども、遠くてミわたせバ、ゆへなく石をとりおきたるやうにみゆる也。ちかくよりてみることはかたし。さしのきてみむに、あしからざるべき様に、立べき也。
(かきつばた)
(訳:遣水の石を立る事は、ひた面にしげく立て下す事あるべからす。あるは透廊の下より出るところ、あるは山の端を廻るところ、あるは水の折れ返るところと 。この所々に石をひとつ立てて、その石のこはむほどを、多も少もたつべきです。
遣水に石をたてはじめむ事は、先水の折れ変り撓みゆく所で。本よりこの所に石のありけるによりて、水の、えくづさずしてたわみゆけば、その筋替えゆく先は、水の強く当たるとなれば、その水の強く当たりなむとおぼゆる所に、廻石をたつる。すゑざまみなこれに習うべし。自余の所々はただ忘れざまに、よりくる所々を立てる。とかく水の曲がれる所に、石を多く立てつれば、その所にて見るはあしからねども、遠くて見わたせば、ゆへなく石をとりおきたるやうに見ゆる也。近くよりて見ることはかたし。さしのきてみむに、あしからざるべき様に、立べきです。
(兼六園虹橋)
(虹橋辺り)
(霞ヶ池の落とし口)
(鑓水沿いの春日灯篭)
兼六園では
曲水より霞ヶ池の入る虹橋の処、此処に石を立ててあります。よって曲水の少し上、杜若の処には石が少ない、これは作庭記の云わんとしている処です。霞ヶ池落とし口裏の小滝から翠滝上の至る処がこれで大石が無くて春日灯篭が立っています。また、白龍端を下る曲がりに至るところには石と草で水面が定かではないが、流れは三芳庵本館に至ります。
(つづく)
参考文献:「兼六園全史」編輯者 兼六園全史編纂委員会・石川県公園事務所 兼六園観光協会 昭和51年12月発行 「兼六園を読み解く」長山直治著 桂書房 2006年12月発行 「兼六園歳時記」下郷稔著・能登印刷出版部 平成5年3月発行 「武家屋敷寺島蔵人邸跡所蔵品録」財団法人金沢市文化財保存団 平成7年3月発行