【兼六園】
35、作泉 水の汲み方、泉の施工−特に側面底面の工法の説明。
作泉にして井の水をくみいれむニハ、井のきはに大きななる船を台の上に高くすゑて、そのしたよりさきのごとく箱樋をふせて、ふねのしりより樋のうへハ、たけのつつをたてとをして、水をくみいるれバ、をされて泉のつつより水あまりいでてすずしくみゆるなり。
泉の水を四方へもらさず、底へもらさぬしだい。先水せきのつつのいたのとめを、すかさずつくりおおせて、地のそこへ一尺ばかりほりしづむべし。そのしづむる所は、板をはぎたるおもくるしみなし。底の土をほりすてて、よきはにつちの、水いれてたわやかにうちなしたるを、厚さ七八寸ばかりいれぬりて、そのうへにおもてひらなる石をすきまなくしいれしいれならべすゑて、ほしかためて、そのうへに又ひらなる石のこかはらけのほどなるをそこへもいれず、ただならべをきて、そのうへに黒白のけうらなる小石をバしくなり。
(虹橋前の金沢城二ノ丸に上げる、用水の取入口遺構)
一説、作泉をば底へほりいれずして、地のうへにつつを建立して、水をすこしものこさず、尻へ出すべきやうにこしらうべきなり。くみ水ハ一二夜すぐれバ、くさりてくさくなり、虫のいでくるゆへに、常ニ水をばいるるなり。地上ニ高くつつをたつるにも、板をばそこへほりいるべきなり。はにをぬる次第、さきのごとし。板の外のめぐりをもほりて、はにをバいるべきなり。簀子をしく事ハ、つつの板より鼻すこしさしいづるほどにしく説あり。泉をひろくして、立板よりニ三尺水のおもへさしいで、釣殿のすのこのごとくしく説もあり。これハ泉へおるる時、したのこぐらくみえて、ものおそろしきけのしたるなり。但便宜にしやがひ、人のこのみによるべし。当時居所より高き地ニほり井あればバ、その井のふかさほりとをして、そこの水ぎはより樋をふせ出しつれバ、樋よりながれいづる水たゆる事なし。
(翠滝上の大きな器(船)
(訳:人工の湧水装置は作泉をつくって井戸の水を汲み入れるには、井戸の脇に大きな器(船)を台の上に高く据えて、その下から、先にのべたように箱樋を伏せ器(船)の尻から樋の上までは竹の筒を立て通して水を汲み入れれば、泉の筒から水が出て涼しく見える。泉の水を脇へも底へも漏らさないようにするには、まず井戸を堰き止める筒の板のとめ(角落し)を、隙のないように造って、地の底へ一尺ばかり掘り沈める。その沈めるところは、板を繋ぎ合わせたものでも差しつかえない。底の土を掘り捨ててよい粘土へ水を加え柔かに捏ねたものを厚さ7~8寸ばかりに塗って、その上に面の平な石を隙間なく押し込んで並べ、それを干し固めてから、その上へまた平な石の4~5寸くらいのものを、ただ並べて、更に白黒のきれいな小石を敷くのである。一説につくり泉を土中へ掘り入れずに、地の上に筒をたて、水を使えば底まできれいに水が無くなるように造ってもよいとある。)
(翠滝の上、升の上に簀子(すのこ)
兼六園では
兼六園内大升2個(翠滝の上、虹橋の上)辰巳用水の石管で、翠滝上は金谷御殿等へ、虹橋上は金沢城への流水口です。作庭記での(井の傍らに大きな船様のものを台上に乗せて筧(かけひ)用として出す。「水堰」)です。升の上に簀子(すのこ)が敷いてあります。
(虹橋上の升の上に簀子(すのこ)
(つづく)
参考文献:「兼六園全史」編輯者 兼六園全史編纂委員会・石川県公園事務所 兼六園観光協会 昭和51年12月発行「兼六園を読み解く」長山直治著 桂書房 2006年12月発行 「兼六園歳時記」下郷稔著・能登印刷出版部 平成5年3月発行 「図解庭師が読みとく作庭記」小埜雅章著 (株)学芸社 2008年5月 ほか