【加賀藩・金沢・江戸】
伝内包早は、41歳の享保10年(1725)に「舟木伝内随筆」著しています。この書物の内容は料理随筆ではなく、さまざまの知識が記され、わが子や後輩に「人に聞く」事を教えています。読んだだけで人にものを問わず、問うことが恥と思っている人がいますが、これは間違いで「問うは一度の恥、問はぬは末代の恥」と言っています。そして、「この書を手本として、人に尋ねるべし」と書かれているそうです。いかに才能があったとしても、適切な指導と当人の鍛錬なくして才能は開花しないと言っています。
(桜が開花した石川門)
(読書のすすめについて、我侭が起こさないように、心を和に、道理に背かぬように心をおさめる事、漢字で書いてあるものが読めないのであれば、武士訓、翁問答、可笑記などに、平仮名で、しかも道理を縮めて書いてありよくよく見るべし。世間には四書五経を暗記して文才賢にして、心をおさめ、家を整えない人が多い。まことの論語読みの論語読まずと申すものであり、また、四書を読んだ人は多いが、講談を聞く人は少ない、講釈を聞がなければ、馬に銭を見せたようなもので、何の役には立たないと云っています。注:「可笑記」は如儡子 (にょらいし) 作。初期仮名草子で俗文体、寛永19年(1642)刊の「徒然草(つれづれぐさ)」に倣った随筆書で、不遇で世に認められない著者 (浪人) の憤慨、世相批判や、すたれゆく武士道についての慨嘆を述べています。仮名草子の教訓物の最初の作品)
よく読まれていた書物は、御家御代々の儀、金沢町中の事、諸士先祖の働きなどのこと、三壺記、大納言様御夜話、末松記、信長記、太閤記等、其外北国太平記、七国記、関ヶ原軍記、難波戦記等を引き合わせ、考えるべし。と書かれています。前田家に仕えるものとして、これら由緒を知るうえで欠かせない書物ですが、藩校の文庫でも紛失をおそれて「貸し出し禁止」とされていて、読むにしてもかなりの学習量になり、所々で借用して引き合わせ考えるのは大変で、ある程度は所蔵にして居たものと考えられます。当時は書物は高価でかなりの出費です。
「舟木伝内随筆」には、「人が重言する事、むざと咎めることは無用」など、わが子や後輩に組織内で人間関係の重要性も伝えています。伝内包早の人間関係の基本は、争わないことです。現在でもそうですが「出世」は、ある意味、努力と運と周囲の協力という3つの結果がもたらす幸運で、その一つ「周囲の協力を得る方法」をわが子や後輩に伝えています。
伝内包早は、知的好奇心も強く時流を読むのにも長けていたようです。当時、金沢でも流行っていた発句が「料理無言抄」に記されています。芭蕉が伊賀藤堂家の元台所方であった同業というだけのよしみか・・・?いずれにしろ元禄2年(1689)に奥州・北陸道を約150日間の旅で、新暦8月29日(旧暦7月15日)芭蕉と曾良は金沢に入り10日間滞在したのが切っ掛けで、当時、金沢の武家も僧侶や商家の旦那、医者、十村にまでも発句が広がり、やがて金沢でも「笠附」という俳諧の遊びが大流行、高得点を得るものが当てるというもので 後の罰せられますが、賭け事に発展したと云いますから、庶民も浸透し楽しんでいたものと思われます。
発句「進物や桶ながらなる鮒(フナ)のすし」 舟木可笑
(進物用の鮎の寿司が桶に入れたまま贈られた様、生きたママか?)
発句「練馬より尾張ますみのかヾみ草 」 舟木河笑
(練馬大根より、尾張の大根のほうが甘い、かヾみ草は「大根」)
発句「料理かな雪を酢で食らう掻比良目」 舟木可笑
(白身のヒラメの料理を雪に見立てた)
伝内包早の俳号は「可笑」。”おかしい”という意味ですが、「可笑記」から拝借したものでしょうか?「可笑」の発句はおかしくも何ともありません、極めて教養ある常識人の句で、独りよがりがなく「誰でも理解できる発句」であり、料理人らしく、形態や味など「もどき」といって似せて創る「見立て」の能力が発揮されています。
(前田家の正月料理に出され、明治以後、一般家庭にも浸透した料理に「数の子」があります。魚卵が数多くあるところから、豊潤、繁栄を連想させ、黄色であることから、黄金も連想させます。また、おめでたい鯛に「おから」を詰める「鯛の唐蒸し」という料理は、繁栄を象徴する魚卵に”見立て”「おから」を詰め、おからの「から」と「唐」を掛けて生まれた料理だそうです。その後、おからに七福神にあやかって七種の具を入れ、切腹を連想させるというので背開きにするとか、より目出度くするために雌と雄の2尾を出すなど工夫をこらしています。)
(つづく)
参考文献:「包丁侍舟木伝内」陶智子・綿抜豊昭著 株式会社平凡社 2013年10月9日発行 「金沢古蹟志」第5編 森田柿園著 金沢文化協会 昭和9年2月発行・「加能郷土辞彙」日置謙編 金沢文化協会 昭和17年1月発行 「大友義左衛門(粂満)第百五十回忌を迎えて」 中屋隆秀著 東山妙泰寺(石川郷土史学会々誌第51号抜刷)平成30年12月発行